肆 ページ29
「味覚に異常をきたす病があります」
Aは語る。
「主に食の偏りと、あとは心的負荷が原因だといわれています。
浩然さまは真面目で家族思いの方でしたから、亡くされて相当衝撃を受けたのでしょう。
大量に入れられた塩に気づかず酒をあおったのはそのせいかと」
「...では、誰がその酒に塩を入れたのだと思う？」
壬氏が怖いくらいに真剣な顔で尋ねる。
「それを調べるのは、私の仕事ではありません」
(逃げ、よね。そんなことはわかっているけれど)
これが精いっぱいだ。
また誰かが罰せられる原因になる。
真面目で信頼の厚い浩然さまを煙たく思う者もいただろう。
少しばかり悪戯をしてやろうと思ったのか、その人物はつまみに出されていた岩塩を酒に入れた。
気づかず飲み続ける浩然さまの瓶に、どんどん塩を入れていった。
浩然さまが塩味を感じられないとも知らず。その酒を一気にあおるとも思わずに。
酔った勢いか、はっきり害するつもりがあったのかどうかはわからない。
でも、突き止めれば誰かが必ずその責を負う。
あの風明のように。
黙ってしまったAを優しい顔で見て、壬氏は立ち上がった。
「ご苦労だった、薬屋。助かった」
壬氏の腰から垂らされた佩玉が目に入る。
黒曜石だ。喪に服しているのだろうか。
「...浩然さまとは親しかったのですか？」
「ああ。小さいころから世話になっていた。立派な方だった」
寂しげな顔の壬氏。
Aはそれ以上何も触れずに部屋を出ようと礼をする。
と、
「ああ、ちょっと待て。渡すものが」
高順に目配せをする。
「礼だ。もちろん料理酒ではないぞ」
Aは目を輝かせる。上物だ。
「よろしいのですか？」
「ああ、ばれないように飲めよ」
「ありがとうございます」
瓶を大事に抱えて深く礼をする。
すると壬氏が近づいてきてAの顎に触れ、顔を上げさせてきた。
思わず怪訝な顔になる。
「感謝している顔には見えないが？」
「...しています。化粧の粉が付きますゆえ、お手を触れないでください」
実際、壬氏の白い手には汚い土色の粉がついている。
「ああ、そうだ。そういえばちょうどこんな献策があった」
壬氏が手を打つ。
「なんです？」
「若い者が酒におぼれぬよう、二十歳まで酒を禁止するというものなんだが」
Aに衝撃が走る。
「じ、壬氏さま、それ絶対に通さないでください」
「ん？私の一存ではどうすることもできない」
壬氏はにっこりと笑った。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 136人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：泉 | 作成日時：2024年1月27日 22時
