肆 ページ13
「おまえ、誰だ？」壬氏の掠れた声だ。
「よく言われますわ」
高級妓女に相応しい、蜜の声で返す。いつもとは立場が逆だ。
壬氏はむず痒そうな表情をした後、また口をひらいた。
「化粧で変わるって言われないか？」
「ええ、よく言われます」
なんだか以前も似たような会話があった気がする。
つまんだ前髪をもとに戻す。
すると、壬氏の手が伸びてきて、Aの手をつかもうとする。
「なんで逃げる」
不貞腐れた顔でこちらを見る。
Aは周りを見渡す。
幸い部屋の角で、さらに近くには幕が張ってあって死角になっている上にほとんどの客は三姫の舞に夢中なので、誰にも見られてはいないようだった。
「妓女には触れないでください」
少し、後宮での話し方に戻して言った。
規則なので仕方ない。追加料金をいただくことになる。
「そもそも、なんでそんな恰好をしてるんだ？」 顔を少し赤くしながら、壬氏が尋ねる。
「仕事です」
「妓楼でか？……もしかして、おまえ」
壬氏が何を言いたいのかわかり、Aは思わず半眼で睨む。
どうにも壬氏はひとの貞操観念を疑う性格らしい。
Aの睨みに壬氏がぴくっと反応する。
確かに醜女の化粧をせずに睨んだのは初めてだ。美人が怒ると怖いと言うが、それをたった今身に染みて感じたのではなかろうか。
Aはため息をつく。その色香に壬氏がまたぴくっと反応する。
「身体は売っていませんよ、まだ」
「まだ……」
「当分ないと思いますけれど。
せいぜい客とお茶を飲んだり、碁を打つくらいです」
「……」
とはいえ婆の気が変わったらAもしなければならないかもしれない。
まあそんな時のために閨での技術は一通り教わっている、それを実践するだけのことだ。
「俺が買ってやろうか？」
「はい？」
ご冗談を、と言いかけてふと頭になにかがよぎる。
「いいかもしれませんね」
「！？」
「もう一度、後宮勤めも悪くないです」
壬氏は驚愕を顔にのせる。
なんだか、今日はきらきらしていないので表情が豊かである。天女の笑みは麗しいが、人間とは思えない表情なのだ。
たまに、魂が二つあり、ひとつの魄におさまっているのではないかとさえ思う。
だから、今日はその仕返しだ。極上の、天女の笑みを浮かべて赤い唇を開く。
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作者名：泉 | 作成日時：2024年1月27日 22時
