fancy!spicy!!sweety!!!【下】

【あの子の生きている世界】 ページ10

乙女の部屋へ窓から入るなど絶対にすべきではないが、今は緊急事態だ。
音を立てぬように、ウォンカは静かに両足を窓枠から床に着けた。


薄暗い部屋を見渡す。パッと見はシンプルな普通の部屋に見えた。
だがクローゼットが幾つも置いてあることに気が付き、それに奇妙さを覚える。
しかもよく見れば、収納しきれていない服が隅の方で乱雑に積まれているではないか。
洋服好き、と言う感じとは違うように思えた。


本棚には色々な本が収まっていて、背表紙がボロボロになっている本が幾つかあった。
タイトルは、幼い頃母に聞かせてもらってウォンカでも知っているような御伽噺ばかり。
寧ろそちらの本の方が大切にされているように見えた。


視線を彷徨わせれば……彼女がいた。
星明かりに照らされ、ベッドの上で眠っていた。力無く横たわる姿に気が焦る。
少し近付いて彼はあることに気がついた。髪が綺麗に整えられている。
色はピンクのままだったが、心做しか前より少し短くなっている気がした。


それからまた近付いて、ちらりと彼女の顔を覗き込むと……。
……胸を掻き毟りたくなるほどの後悔に苛まれる。


涙の軌道が頬や目尻に跡として残り、シーツにも幾つもの染みを作っていた。
何かを堪えていたのか、手の中にはあの時のハンカチが強く握りしめられている。
はだけた寝間着から伸びる白い手足には、生傷と共に赤黒い痣が点々として痛々しい。


何を以て大丈夫だなんて言えたのだろう。彼は彼女の生きている現実を……知らしめられた。



「ごめん、アリス」



息を飲む彼。
新たに涙の雫が一筋頬を流れていく。
人差し指でそれを拭おうとすれば―――



「っ！」



触れた瞬間、彼女に腕を掴まれた。
驚いて心臓が縮み上がる。声は咄嗟に堪えられた。


キリキリと彼の手首に食い込む細い指。
吐く息が細く震えていて、充血した瞳が此方を睨む。
温かくて柔らかくて星明かりのような面影がどこにも見えない。
拒絶と嫌悪。彼女の示す全てがそれを物語っていた。


"誰か"に向けた殺気の理由なんて聞きたくなかったし、彼女の口から言わせたくもない。
「泣いてる顔も可愛い」だなんてそんな事、もう彼の中で湧き上がることもない。



「アリス……」



ただ、力無く名前を呼ぶ。
身を裂く様な痛みが彼を襲った。
初めて見る彼女に戦慄を抱く。それは彼女に対してでは無い。
自分の認識の甘さと、彼女を取り巻く現実の残酷さにだ。



悪い魔法はまだ、解けていない。



.

【現実と御伽噺の狭間で】→←【星冴ゆる】

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す