重力使い、絶賛悶絶中。 《中原中也》

第51話　擂鉢街 ページ4

「A。これから、何処(どこ)に行くの？」

　両親が宿泊している施設のロビーで待ち合わせ、一度、目視で身体検査(チェック)していく。拙(まず)い所はないので、一言声をかけて外出した。背中から問いかける母に、端的に答える。

「擂鉢街です」
『え!?』

　中年の男女の声が道端で重なって、すれ違う通行人は一瞬だけ視線を寄越して、何事もなかったかのように再び歩き出した。あたしは振り返らずに歩を進め、後ろから軽快な足音を立てて２人が追いついてくる中、父が咎(とが)めてきた。

「駄目だ、A。そんな危ない処――」

　突然、歩を止めた時、急停止できなかった両親が勢い余ってぶつかり、背後から重い衝撃がくる。間抜けな声も聞こえて均衡(バランス)を崩しかけたが、そこは鍛えてきた脚力で転ぶのを耐えて体を反転し、頭一つ分背が高い父の茶色の瞳をしっかり見て、はっきりと断言する。

「その危ない場所で、あたし達は生きてきました。『異論は唱えない』。昨夜、貴方ご自身が仰(おっしゃ)っていたではありませんか。この地に貴方方が足を運んだのは、あたしと彼の事を少しでも知りたいと思った結果でしょう？ 四の五の言わず、黙って娘の後ろについて来なさい」

　静かな口調で吐き捨てて、反論できない彼らに身を翻(ひるがえ)し、徒歩で擂鉢街(スラム)を目指した。


　立派な建造物の向こう側に、窪(くぼ)んだ地面があって、そこに乱立したトタン屋根と、悠然と建つ骸砦(むくろとりで)が見える。

「あの街は、流れ者の多い土地です。故(ゆえ)に、犯罪者も多い。これから、３つの事を肝に命じて下さい。あたしを見失わない事。娘がやる事に口出ししない事。身につける物を他人に譲らない事。いいですね？」

　壊れた自動人形(ロボット)のように、両親は固唾(かたず)を飲んで、互いの手を離さぬよう握りしめている。彼らの歩調に合わせて先導していき、迷路のような街を巡れば、自然と下衆(ゲス)な連中に出くわす事もある。

「よォ、姉ちゃん。こんな街になンの用だ？」
「帰郷がてら、客人と散歩しに来ただけだ。そこを通せ」
「おい、莫迦(ばか)！ 黒髪に青灰色(せいかいしょく)の瞳の女っつったら、『羊の妃』だろ。早く通せ！」
「話が判る奴がいて良かったな。お前ら」
「どっ、どうぞお通り下さい!!」

　微笑み、慄(おのの)く男達の横を素通りした。

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