重力使い、絶賛悶絶中。 《中原中也》

第74話　誘導 ページ27

「神崎さん、お疲れ様です。また明日」
「ああ。また明日」

　受付嬢や事務員達は、一般人に見えるが、実は所属部隊はそれぞれ違えど、我々と同学園で訓練を受けた先輩や後輩だ。そのため、不審者を見極める観察眼を持つ。何気なく交わした『また明日』という単語も一つの符丁になっているが、今は、話すべき事じゃない。
　退社して、徒歩２分の場所にある駐車場に、２人歩調を合わせて向かう。

「お仕事お疲れ様。中也」
「おう。Aこそ疲れてねェか？ 昨日は、緊張しただろ？」
「それは、中也も一緒でしょう？」

　細いＴ字路に２人の控えめな笑い声が木霊(こだま)していくが、それを気に止めずに会話を続けていく途中で、コンビニに寄って買い物をした後、隣の駐車場に到着した。彼の愛車は、以前一度だけ乗った事ですぐに判別でき、婚約者は遠隔操作で開錠し、助手席のドアを自らの手で開け、お姫様を相手にしたような気取った口調で乗車を促した。
　しかし、乗り込んでから帰宅ラッシュの時間帯にぶつかってしまい、彼が歌い始めた懐かしのハードロックな曲で盛り上がれば、交通渋滞は大して問題にならない。


　社員寮まで送ってくれた婚約者は、２階へ上がる階段の手前であたしの頬を両手で包みこみ、優しい眼差しでこう言った。

「なァ。忘れ物をしたから、今から取りに行ってもいいか？」
「ん。構わないよ」
「ありがとう。A」

　次の瞬間、頬を包んでいた両手が首筋に滑り下り、握力を一気にこめられ、首を絞め上げられる。息苦しさで呼吸が儘(まま)ならない状況下でも焦らず、笑顔を忘れない。

「…っ。忘れ物は…、取りに、…行けそう？」
「Aのおかげで順調だ」
「…そ、か…」

　霞(かす)んでいく意識と視界の中で、眼前に佇(たたず)み、静かに涙を流す愛しい彼に向けて、懸命に両腕を伸ばした。

「…ち、…や。殺すなら、…たの…能力で、つ…して」
「…解った。それが、手前(テメェ)の望みなら──」
「…うん」

　身体全体が重力の負荷によって、少しだけ軋(きし)む音がした途端、布が焦げる臭いと共に圧力から解放されて、コンクリートの地面に膝から崩れ落ちた。中也の被害は、手袋が焼け焦げただけで済んでいる。

「…げほっ。このあたしが、大人しく殺されると思ってんのか？ 逃がさねェぞ。馬鹿野郎」

　ここに居ない婚約者を操る異能力者に、婚約者に一度も見せた事が無い、凄惨な笑みを浮かべた。

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