楽曲3 ページ5
加州くんと別れてからは12時までは孤児院の子供達と遊んだ。孤児院の子供達は私からしたら妹や弟同然の存在。それは姉さんや兄さんも同じである。
私達、兄妹が救われたのはこの教会系の孤児院。そして養父母達は、子供達にもちゃんとした教育を行ってくれるし、その子達が望めばちゃんとした学校にも行かせてくれる。
私達兄妹も今は高校に通いつつも今はバンド活動をもっと出来るようになる為に練習時間も増えている。
だからこそ、子供達と遊べない分遊べる時にたくさん遊ぶのが決まり事になった。
因みに、孤児院のみんなは私達の活躍を応援してくれる優しい子供達だ。養父母も。
軽くここで私の自己紹介をしよう。
私は昔、生後直ぐにある孤児院の前にダンボールの中に入れられ、捨てられていた。その赤子の私を女性の職員が見つけ、命が危ないほど衰弱してたので応急処置をして病院にも見せに行ってくれたらしい。私の本名らしきものが書かれた紙を後からダンボールの奥底で見つけた職員もいたが、とても読めない状態だった様で私には名前というものが無い状態だった。その孤児院の院長が適当に【0618】と数字をつけて私をそう呼んでいた。
孤児院の職員と子供達はとても良くしてくれたしみんなは私を気を使ってか、呼ばれていた数字の中から1と8の語呂合わせで【ひとは】と最初は呼ばれていたが、何故か院長の前だとその番号で私を読んでいた。
私は何故、院長の前では皆んなが怯えてるのかというのを5歳で知った。
この孤児院の院長は暴君だった。気に入らない職員や自分に楯突く職員は直ぐにクビにした。
子供には、流石に力は振るわなかったが。子供達に良くしてくれる人が段々と居なくなると同時に私は感情が消えていった。
なんて汚い大人なんだろう。そうなりたく無い。そういう事があってか私はそこで心がわからなくなり、拠り所も無かった。
そして私は7歳の頃に歳が2つ上のお兄さんと会う。そのお兄さんは私に名前をくれた。私がこっそり歌っていると上手ですね、って褒めてくれた。
お兄と呼ぶまで時間はそうかからず私はお兄が拠り所となった。
でも、私が12の頃、お兄は政府の人に連れていかれた。私に必ず落ち着いたら私を迎えに行くと約束を残して。
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