本の揚羽蝶 糸の上でワルツ−em− ぱら ページ20
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『ねぇ、エーミール。そろそろはくちょうの時期ね』
「はくちょう、？」
はくちょうとは、あの白鳥か。この国では白鳥は冬に極東から飛来する。じりじりとフライパンの上で焦がされるような夏には、まず見られない。
エーミールを惹きつけてやまないAという女は、艶めかしく光沢を放つ紅い唇から紡がれる言葉で意地悪をしたり、エーミールを糸の上で縛り付ける。
くすくす笑うその様は少女のようだが、行動はさながら蜘蛛であった。
『白鳥、と言っても夏の大三角のはくちょう座よ。今度、ふたりっきりで見に行きましょうよ』
「……ェ」
身体中に電撃が走ったようだった。それは、即ち、でーと……？
ワンテンポ遅れてエーミールの顔がぽぽぽ、と赤くなる。それを見たAはエーミールの顔とおんなじ色の口を歪めて笑い出した。初心なエーミールが可愛くて、愛おしくって堪らないのだ。
『どんな星も、エーミールには敵わないわ。わたしの一等星は、おまえだけ』
『目一杯、お話聞かせて頂戴ね』
楽しみにしてるわ、なんて言って席を立つA。
ひらひらと上品に揺れるロングスカートに釘付けになったエーミールの額には、じっとりと前髪が張り付いていた。数十分前から一ページたりとも捲られなかった本が、夏の熱風に煽られてペラペラ踊り出す。
『じゃあ、またあした』
Aの別れの挨拶はいつもこうであった。明日、此処に来ようが来まいが、Aは必ず”またあした”と呟く。
その”明日”がエーミールを苦しめるのだ。
明日こそは、冷たい紅茶を出そう。
気配りが足りなかったな、とぬるくなった紅茶を一口啜った。
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作者名：鈴木産 | 作成日時：2022年6月5日 12時
