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──勝手に信用して、勝手に好きになって、馬鹿みたい。
洗面台にぽたり、ぽたりと雫が落ちる。そういえば口を濯いだ後に顔を拭いていなかった。
タオルハンガーから乱暴にフェイスタオルを引っ張り出し、顔をうずめる。
こういうときこそ考えるのだ。感情は思考のノイズにしかならない。
Aはタオルから顔を離した。元の場所に戻して、両手でパチンと軽く両頬を叩く。
──しっかりしなきゃ。
ここで立ち尽くしているだけなら、眠っているのと何ら変わりない。それなら騙されて眠っていた方がマシだったろう。
起きているなら、頭を使え。Aにはそれしか無いのだから。
神威は何のために睡眠薬を盛ったのか。一番重要なのはそこである。
睡眠薬を飲ませるのは、単純に眠らせるためだ。では、なぜ眠らせようとしたのか。
これが普通の悪事のように、物を盗るだとか、強 姦だとか、外に出せない写真を撮って脅迫のネタにするだとか、そういうことのために薬を盛るという理由ならいっそ解りやすい。
しかし、Aが寝たら神威はすぐさま部屋を去った。つまり、最終的な目的はAにもこの部屋にも無い。
それに、とAは考える。
──薬なんて回りくどいことをしなくても、神威なら実力行使した方が早い。
Aを殺すなんて神威にとっては人が蟻を踏み潰すのと同じくらいに簡単だろう。脅して言いなりにさせるという手もあったはず。なのに、彼はそれを選択しなかった。
ということは、害意はなかったのだ。
やはり目的はもっと別の場所にある。Aを巻き込みたくない何かが。知られたくないことでもあるのだろうか。
──阿伏兎も一緒なのかな。
彼なら何か知っているかもしれない。ただ、睡眠薬を盛るという神威の行動に阿伏兎の介入があったかは不明だ。ただ、阿伏兎のやり方ではない気がする。
Aは鏡に映る自分の顔を見た。力強く拭いたせいか、目元が少し腫れている。
素早く身嗜みを整え、洗面所を出た。テーブルに備え付けのメモ用紙とペンを使って、さらさらと文字を書く。《退職届》と書かれたその紙をポケットに仕舞った。いつでも出せるように。
彼女は睡眠薬入りのグラスを持って部屋を出た。
阿伏兎の部屋をノックして在室かどうかを確認する。
「どうした姐さん──中入るか?」
Aの目元を見て、何かを察した阿伏兎は部屋へ招き入れた。
彼女は無表情でスタスタと部屋に入る。
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作者名:夢宵桜 | 作者ホームページ:https://lit.link/dreamfairy
作成日時:2024年3月25日 21時