六 ページ6
べっとりと濡れた口元を押さえ、だらりと垂れた髪を掻き上げる。
口元に寄せた手がゆっくりと喉元へと滑っていく。
目頭が熱くなり、つうっと頬を伝う雫。
拭う事を忘れる程、心に余裕がない。
喉が渇いて堪らない。
喉元に滑る手が、徐々に食い込み、伸びた爪が容赦なく皮膚を裂き、滲み出た血が手を伝う。
「A」
名前を呼ばれて答える余裕がない。
一歩、足を踏み出した影に体がパクリと震えた。
「出て行って」
ドクドクと忙しなく打ち付ける鼓動。
見開いた瞳孔が見せる視界の暗明。
赤く染まっていく視界。
理性を飲み込もうとする本能が、私の中で猛威を払う。
(嫌だ。嫌だ・・・)
拒絶の言葉は頭の中だけで反響し続ける。
カタカタと揺れる地面。
長い眠りの中で、意識と共に眠りについた魔力が感情の昂りに合わせて膨れ上がる。
「私から離れて」
顔を俯かせ、目蓋を固く閉じて、身体を掻き抱き、少しでも時間を稼ごうと足掻く。
「私が私ではなくなる前に、逃げて」
ドクリと音を立てて軋む胸元。
心臓を握り潰される様な痛みに呼吸を忘れる。
もう時間がない。
建物が大きく揺れ動く。
部屋の外が騒がしくなる。
「お前たちは万が一に備えて、下がっていろ」
「カールハインツ様っ」
私の足元から遠ざけられる召使い。
人形の様に意識はなく、正気の抜けたその顔を見れば、その目尻は涙に濡れていた。
ひとりでに閉まる部屋の扉。
その途端、部屋の雰囲気が変わる。
部屋の外の音が一瞬で遮断され、物音一つしない。
「結界を貼った。これで、この部屋には私と君だけだ」
近づいてくるその男を私はよく知っている。
私とお揃いの赤い目をした魔界の王。
「私では、満足できないだろうが」
長い髪を片方に纏め、着衣をはだけて、その男は噛み付きやすい様に首を傾げて、誘う様にほくそ笑む。
私の目は、露わになった首筋に釘付けだった。
抑えていた衝動が、理性の垣根を破り、今か今かとその時を待っている。
「遠慮する事はない」
赤く濡れた手を躊躇する事なく触れて、彼はその手の甲に口付けた。
薄く開いた口から顔を出した舌が、私の衝動を煽る様に肌を滑る。
「君が満足するまで、付き合うよ」
私の中で打ち砕かれる理性。
後は、本能が身体を支配する。
目の前に現れたご馳走に口元が無意識に歪む。
縋り付く様に首筋に腕を回し、衝動のままに口付けて牙を立てる。
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作者名：朔夜 | 作成日時：2020年1月9日 10時
