ep.36 ページ37
Sara side
走った。逃亡とも逃避行とも言える疾走だった。
「すみません！すみません！」
私がインターホンを押し、扉を幾度も叩くとあの人が引き戸を開けた。
「A」
砂まみれの私を怪訝に思うているのは解っていた。
あの人がしゃんと私を立たせようと、両腕の側面をがしりと持っているその強さが、たまらなくつらく感じられて、私は崩れ落ちるようにその玄関のタイルへ座り込んでしまった。
大声で泣いているつもりが、声なぞは出ずに、ただ嗚咽ばかりが肩をしゃくり上げさせていた。
あの人は、その手を私の背中に回してぎゅっと抱きしめた。
「ごめん、…、ごめん……」
「ええよ、戻ってきたから。
……やから、もう何でも」
「もう…二度と何処にも行かへんから、」
「……うん」
あの人は奥に居る伯父夫婦に声を掛け、荷物を取ってきて、帰ろうと言った。
玄関まで来たパジャマ姿の伯父は少し困った顔で、でも私に微笑みかけていた。
私は喪失した。
奇抜で派手な、世にも珍しい全てを失った。
ようやく、一年かけて完全に無くなった。
元々無い、でも確実に彼処は私の家やった。
確実に私の家族やった。
確実に、私の好きな人やった。
私は彼と一緒に地獄へ行きたかった。
行かれへんかった。
彼らと一緒に長い青春を生きたかった。
生きられへんかった。
しょせんは全てが儚い夢幻であって、私が選べへん道。
映画みたいに華やいで、楽しく、つらいあの生活は私の感情の全てを喰い尽くしてしまった。
あの街へ戻りたい。
私だって戻りたい。
戻りたくない訳がない。
でも戻ったらまた前と同じことの繰り返しで、私は人を殺め、自身の恋心とやらに振り回され、怠惰に、非情に暮らすしかない。
彼処に「普通の生活」というものはない。
あの中の誰も「普通の親」も「普通の家庭」も「普通の仕事」も何も知らへんのやから。
ルカさん、何で私を生んだの。
何で私を捨てたの。
私知ってるよ、わざわざ大阪まで行って施設に預けたこと。
私も東京の言葉を喋るあなたに育てられ、東京の空気を吸って、地下鉄だらけの地面を踏んで暮らしたかった。
いつも思っていた。憎んでいないというのは、真っ赤な嘘。
ほんまは悔しいほど恋しく、涙が出るほど憎んでいる。
私を返して。真白な赤子の私を返して。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 47人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：ゆうみ | 作成日時：2020年8月22日 11時
