イロコイ・ライン 5th【ars K.N】 (ページ32)

今日:29 hit、昨日:4 hit、合計:2,660,156 hit

192.歓喜の波。ページ32

「あ...先生って、甘い物苦手じゃ...」

思い出してそう訊いた時、先生はもうマフィンを手掴みしてパクリと食べてた。

「んー、クリームとか甘い飲み物は苦手だけどこーゆーのは好きよ？生地系のお菓子ってゆーの？」
「フフッ、生地系」
「生地系」

ほっぺたがモグモグ動く。
私、先生が口の中をいっぱいにして何かを食べてる姿がすごく好きみたい。

「じゃあ、仕事して来ますね」
「はいはい。頑張って」

ヒラヒラと手を振る先生にペコっと頭を下げて、仕事に戻る。

だけど、何だかさっきまでの疲れがスポっと身体から抜けてる。
ちょっと先生と話しただけなのに、ゲンキンなカラダ。

私の終業時間が来る少し前に、先生はお店を出て行く。

仕事を終えて、ロッカーでスマホを見ると『桜公園の前ね』ってLINEが届いてた。

白い息を吐きながら、桜公園へ向かう。
何度目かの待ち合わせ。

先生は今日も、車に凭れて待っててくれた。

「先生、お待たせしました！」
「はい、お疲れ」
「車の中で待っててくれて良いのに...寒いでしょ？」

ストールの下に見える鼻が、少し赤くなってる。

「まぁ、さみぃなぁ」
「ほら！風邪ひいたらどうす...」
「あーもー、寒いからさっさと乗りなさい」

私の言葉に被せるように言った先生が、助手席のドアを開けてくれて

何か納得いかない私がムゥっとした顔をしながら乗り込むと、「膨れんな」って頭を軽く叩かれた。

いてて、って自分で頭を撫でながらニヤニヤ。
どうしよう、何もかも嬉しくなって来る。

その内、私は歓喜に溺れて死んでしまう。

「あのさぁ」

運転席に乗り込んだ先生が、エンジンを掛けながら呟いた。

「オレ、謝んなきゃいけないコトあって...」
「え...何ですか...？」

何か怖い。
私、別に先生から謝られるような覚えは無いのに...。

さっきまで浮かれてた気持ちが一瞬でシュワーっと萎れて行く。

「忘れたんだよ」
「...何を？」
「Aに貸してやろうと思ってる本」
「...あぁっ！」

そう言えば、こないだ電車の中でそんな約束した！
日曜に花嵐堂に持って来てくれるって！

「そんなの、いつでも良いですよ！フフッ、何かと思ってビックリした」
「そう？今から取りに行こうかと思ってたんだけど」
「取りに...って？」
「オレんちに」

..え、オレんち...って...え？

「そんな時間かかんないし、やっぱ戻るわ。また忘れそうだし、オレ」

私が何も言わない間に、先生は車を発進させた。