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「僕はこの時間に費やすことが一番好きだから。こうやって自分の好きなことや趣味を誰かと分かち合いながら話すなんて時間、今だって夢なんじゃないかって錯覚しそうなくらいで」
先輩は穏やかな表情で手を伸ばして私の髪に優しく触れてきた。羽を丁寧になぞるかのようにふわりとした手つきは心地よくて拒むことを考えなかった。
「同じような趣味を持った人なんて案外少なくて。だから今もこんなに近くにいるのが凄く嬉しい」
小説本の中で夢見ていたあの純朴な世界観は現実にもあったんだ。こんなにも心が綺麗で優しい空間が自分の目の前に存在していた。
理想よりも眩しくて、現実より遠い気がして。
「そういえばこの図書室の出来事が懐かしいね。島崎藤村の若菜集を読む人なんてこの学校の中では初めて見た」
「ま、マニアックですかね」
「そう？僕は好きだけどな。恋愛観を林檎で例えるところが」
真冬先輩はいつの間にか若菜集を持ってきていて初恋のページを開いていた。
捲られる紙の音がより大きく耳の中に聞こえる気がする。それは二人でいるからなのかそれとも仄かなものでも敏感に感じるような雰囲気から来ているのか。
けど、何より。
(目が離れられない)
逆光を浴びて平穏と本を眺める真冬先輩の姿が端麗だったからか自然と目を離せなかった。
「…この初恋って男性目線から描かれてるから中々面白いんだよね」
真冬先輩はまた席から離れて、荷物を手に取ってカバンの中へと入れていて帰るような素振りを見せていた。
…この時間がまた今日も終わってしまうんだ。
そう考えるとまた寂しさがやってくる。この時間が私にとって唯一無二の楽しい時間なのにこの瞬間が私は少し苦手だ。
「初恋に出てくる女の子はAに似てて綺麗」
その言葉によって私は行動が停止した。
聞き間違えなんじゃないかと真冬先輩の方に目を向ければ彼は離れた距離に振り返って頬を少しだけ紅くしながら照れくさそうに笑っていた。
「 人こひ初めしはじめなり…なんてね」
開けっ放しの窓から風で舞ったカーテンのせいで一瞬だけ先輩の姿が隠れたかと思ったら初恋の一文を口ずさむ真冬先輩の姿。
「…えっ」
「聞き間違えじゃないから」
「じゃあね」と真冬先輩は柔らかく言葉を噤んだあとその場を去っていった。そして扉の音が図書室全体に響き終わった時には大きな溜め息と微熱が私に追いついてきていた。
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作者名：夜紅茶 | 作成日時：2020年6月9日 16時
