君と 9

身勝手な心(side N) ページ6

『ごちそうさまでした。とっても美味しくいただきました』



俺の右側、椅子一つ分空けた席に座るみおは、向かい側のマスターに軽くお辞儀をして微笑む。
そしてその微笑みはそのまま俺に向けられる。
『ごちそうさまでした』と。





あの夜、逃げるように慌てて俺の家を出ていく君を引きとめることができなかった。



玄関を出る直前に君が見せた焦りと困惑の表情と、
そして何より、哀しみを宿したその瞳が、俺を思いとどまらせた。



玄関に立ち尽くし、君にはもう会えないと思った。



時が過ぎた。
勝手にも程がある。
君を散々傷つけたのに、今さら何を……



自分に言い聞かせながら、重い体をなんとかキッチンまで戻すと、そこで見つけたのは君の置き忘れた腕時計。



すぐに追いかけようと思って、やめた。



“また会えるかもしれない”



俺は懲りもせずそんな都合の良い期待と下心を抱き、
君のものをずっと持っていた。



でも君から連絡がくることはなく。
一方で俺の想いは募り、気持ちに蓋をすることはできなくなった。



ずるい手を使い、
こうして無理やり、強引に君を誘い出した。



身勝手だと罵られても、
最低だと拒絶されても、



それでも、



会いたかったんだ。



君に。






『美味しくて食べ過ぎちゃった』



初めのうちは、君の緊張と警戒心が手にとるようにわかったけど、
こうして俺に微笑んでくれるほど、君が纏う空気は柔らかくなった。



美味しい料理とお酒、そして何よりマスターの細やかな気遣いのおかげで。



今なら、話せるだろうか。



伝えられるだろうか。



俺の想いを。



「本当に腹いっぱいになった？ みおはまだまだ足りないんじゃない？」


『またっ！ 隆弘はそうやってすぐ人をからかうっ』


「あははっ！ からかってないって！ほんとに心配してんの」


『だからっ、それがからかってるでしょっ』



ムキになって俺を見るみおの頬は、ほんのりと桜色。
触れたくなるような。



「桜……」


『……え？』


「マスター、上行ってもいい？」


『あぁ、もちろん』



椅子に掛けていたジャケットを持って立ち上がり、みおの側へ。
疑問符を浮かべたまま、みおは俺を見上げてる。



「特別席。行くよ？」


『えっ、ちょっと、隆弘⁉︎』



みおの左手を取り、俺はまた強引に連れ出した。

特別席→←狭間

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