「ありがとう」なんて言わない ページ2
『僕と一緒に逃げよう、響子さん』
『旅立ちの日、一瞬だけでいい。一人きりになってくれ。そうしたら、僕が君を連れ出そう』
『そうやって、君が乗る予定のとは逆の列車に乗るんだ。そうしたら、僕の故郷に着く。そこで一緒に暮らそう』
「響子、響子。何をぼんやりしているんだ。その様では、向こうで愛想を尽かされてしまうぞ」
お父様の声、そして煙の臭いで回想の渦から引き戻される。目の前に広がる現実は、呆れたようにこちらを見下ろすお父様と、煙たい駅の構内。
こちらが現実だ、と刻み付けるためお父様を眺める。今日のために整えた口髭に、欧米製の紳士服。見た目は立派だけれど、その姿は、今しがた脳裏に現れた彼よりも幾分か小さく感じられた。
けれど衣装だけは立派。少し可笑しくなって、こっそりと笑う。しかし、それもそのはず。衣装は立派で当たり前。投資で大損した私達伯爵家が貧しさに喘いでいたのは、もう昔の話。私達は幸運にも大金を手に入れたのだ。
私という一人娘を、何処ともしらぬ田舎の地主に嫁がせることによって。
やっぱり、この現実は何度把握しても笑えてくる。どうして両親は私を売るような真似までして、かつての贅沢を取り戻したいのだろう。そして私はどうして──まだ、ここに居るのだろう。
売られると分かっていて、どうして駆け出せないのだろう。どうしてこの身を、彼の元へ動かすことが出来ないのだろう。
──駆け出してみれば、気持ちは後から着いてきたりするのかしら?
そう思って、足に力を込めた瞬間、「列車が参りましたよ」とばあやが言う。途端に足は行儀よく揃えられる。
そのまま「はい」と明るく返事をすれば、一瞬の思いつきは、駅の構内の煙と共にどこかへ飛んで行った。
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紫清(プロフ) - 秦弓月さん» コメントありがとうございます。両片思いといえば「切ない」だよなぁ……と考えながら書いたので、それを作品に表すことができていてよかったです。 (2019年1月10日 22時) (レス) id: 31558a11d8 (このIDを非表示/違反報告)
秦弓月(プロフ) - 切ない話ですね。両親のため、自分の幸せを犠牲にするヒロインの内心がよく表現されていると思います。 (2019年1月10日 22時) (レス) id: deabd34961 (このIDを非表示/違反報告)
紫清(プロフ) - ccさん» 「両片思いと言い張っていいのか?」とちょっと不安でしたが、そう言って頂けて安心出来ました笑 コメントありがとうございます! (2019年1月5日 20時) (レス) id: 31558a11d8 (このIDを非表示/違反報告)
紫清(プロフ) - 花杜あみり@あっ、スーモ!さん» ありがとうございます! どうしたら雰囲気が出るか試行錯誤した結果だったので、その点を褒めて頂きすごく嬉しいです。 (2019年1月5日 20時) (レス) id: 31558a11d8 (このIDを非表示/違反報告)
cc(プロフ) - 素敵……。身分が許さない切ない恋、他の方が描く「両片思い」とは一風変わっていておもしろかったです。 (2019年1月5日 17時) (レス) id: 268fdbae44 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:紫清 | 作成日時:2019年1月4日 22時