練習の前の本番(F.T) ページ2
福本「…思ってた3倍くらい緊張するわ、これ」
目の前にある綺麗な顔が軽く傾く。
A「そう？」
瞬きの度に睫毛が上下して、瞳に光が入って。
声を発する度に唇が開いて、その艶めきに心奪われて。
A「する"フリ"やん」
そう。
実際に"する"訳ではない。
勿論頭では分かっている。
だけど心は言うことを聞かないまま、爆発寸前の心臓が絶賛大暴れ中。
演出家「スタンバイできましたか？」
A「はーい」
演出家「じゃ、一旦通しましょうか」
只今グレショーの稽古中。
周りには演出家さん含む劇団の方も、カメラマンさんや音声さんなどのスタッフさんも大勢いる。
心臓の音が聞こえてしまわないか不安で仕方がない。
今回の舞台で俺はAの恋人役を演じることになった。
物語は俺らのキスシーンで幕を開ける。
A「"これからもずっと一緒にいようね"」
福本「"…多分"」
A「"多分…？"」
Aの肩に両手を乗せ、そのまま抱き締めるような形で―
演出家「ちょっと待って！一旦ストップ！」
すぐに離れて演出家さんと目を合わせる。
演出家「…いくら何でも不自然すぎる…かなあ、」
困ったように笑われて気まずい空気が訪れる。
そんなんしゃあないやん。
キスシーンなんて無理やもん、俺。
どっかの女優さんとかどっかのタレントさんとかと外部の作品に出演しているのならまだしも。
メンバー全員が目の前で見ている上に相手はA。
平静を保てる訳がない。
Aとは明日も明後日も、今後の人生において半永久的に顔を合わせることになる。
これからも同じ時間を"メンバー"として共有し続ける運命に置かれている。
そんな相手とキスシーンだなんて、嘘だとしてもハードルが高すぎる。
A「家で練習する？」
福本「練習！？」
A「冗談やって。焦りすぎ。」
Aは一切動揺していない様子で余裕たっぷりの表情を浮かべている。
A「んー…もしくは」
福本「…もしくは？」
A「本番」
福本「ほんば…んっ」
触れた。
確かに触れた。
唇と唇。
マウストゥーマウス。
福本「えっ、え、あ？えっ！？」
一気に背中と額に汗が滲んだ。
パニックに陥る俺を見たAはゆっくりと口角を上げる。
A「1回したんやからするフリくらい余裕やろ？」
ニヤニヤするこじけんを視界の端に捉えながら黙って頷いた。
福本「…もう1回最初からお願いします」
Fin
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作者名：わさび醤油
| 作成日時：2022年9月23日 7時
