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「鉢屋」
「先輩、早くほどいてくださいってば!」
「……よく分からないが、分かった」
三郎のあまりの剣幕に、甲斐丸はそう頷いた。 が、それ以前に三郎が甲斐丸の髪へと手をかける。 きつく縛られた元結をといて、緩く編まれた髪をさっさと手でほぐす。 軽く癖のついた青藤は、いつもと少し違った艶やかさを彼女に与えていた。
火薬や土、草木の香りでもなければ、香油でもないような、何か柔らかな香りが三郎の鼻腔をくすぐる。 そのあまりの優しさに、三郎は一瞬目を見張って手を止めた。
( ……なんだ、この匂いは )
髪を一束掬って、自然と口を寄せてしまいそうになった。 その時だった。 すぐ後ろの床が軋むような音をたてたのは。
「−−鉢屋、だな? 何をしている」
その腹に響く悪魔のような声に、ピシ、と三郎は身を凍らせた。 急に、食堂の温度が極寒の地にも負けず劣らず冷え込む。
雷蔵が怯えたように後ずさった。
「仙蔵に文次郎」
対して甲斐丸は、なんでもないように三郎の背後に立つ仙蔵と、その少し後ろに立つ文次郎を見やった。
ギギギギ、と古びたからくり人形のような動きで、三郎は首を動かして自分を呼応した人物に視線を移す。 仙蔵は、一見人の良さそうにニコニコと美麗な笑みを浮かべていた。
三郎は、ぱっと触れていた甲斐丸の髪の毛から手を放した。 はらはらと、小川の流れにも負けじと清らかに、彼女の髪の毛が重力に従う。
「た、立花、先輩……」
八左ヱ門が、守りきれなかった、と入口付近で手で顔を覆っていた。
仙蔵は、にっこりと微笑んだまま、三郎に告げた。
「鉢屋、少し表で話をしないか」
( あっ、これ俺死んだな )
細められた仙蔵の瞳の奥に秘められた真っ黒な禍々しさに、三郎は血の気が引くような感覚をひしひしと感じた。
「……三郎、骨は拾ってやるからな」
「骨が残るか分からないよ、八」
状況はよく分かっていなかったが、物騒だな、と甲斐丸は思いながら、苦々しく額を抑える文次郎の元へと近寄った。
「……お前、そろそろ自覚しとかねえと犠牲者増える一方だぞ」
「犠牲者……? わたしは何を自覚すればいいのだ」
文次郎は、はああ、と大きくため息を吐いたのだった。
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作者名:星月夜 | 作成日時:2019年2月3日 19時