今夜君が欲しい【前編】

11 K ページ11

まずは、彼のみ特別に接し壁を取り除かなければならない。親しき仲にも礼儀ありとは、よく言うが、親しくなるには、適度な無礼も必要だ。
相手の懐に上手く入り込む、不快にさせない程の。



「──…で、最後ここが給湯室。この熱湯は98度で出るから火傷に注意してください。よく皆デスクでカップ麺とか食べてるから、北山さんも自由に使って」



藤ヶ谷さんは部長の指示通りひと通り、社内の案内をしてくれた。丁寧に卒無くこなす彼は会社員の鏡のような印象を受けた。



仲良くなる人にはとことん甘えるけど、線引きした人には愛想も振りまかないだろう雰囲気を漂わせてた。



その線の手前に行かなければ、いけない。
壁なんて壊すよりも、立てられない方がいい。
タイムリミットがある。



「ありがとうございましたっ」
「いえ、では次…早速ですがデータ入力を教えますね」
「んー、その前にひとつ案内漏れしてるけど」
「……そうです、か？」



敬語を取っ払って、話しかけてみると露骨に眉根を寄せた。わかりやすっ。真面目くんだな。
礼儀を重んじる。
一応リサーチ済だ。俺の方が歳上だと。



しかし、社会人は入社時期で上下関係が出来上がる。歳など関係ない。
明らかに、彼のが上下で言えば、上だ。



「喫煙所、教えてよ」


わざと敬語は取っ払う。
俺より背の高い彼の顔を見上げるように覗き込むと、彼の眉間の皺が深くなる。


おもしれぇ。
怪訝そうな顔を崩し、虜にさせることが何よりもの快感を得る瞬間だ。



「吸うんですか」


標的(ターゲット)は吊られて敬語を崩すことなく、軽蔑したような瞳で俺を見下ろした。


ここでパターンが大きく分かれる。
吊られて敬語を崩す奴、崩さない奴と。
崩す奴のが簡単だ。すぐに壁は崩せる。


コイツは崩さない奴ね。



「吸うよ。すげー愛煙家。藤ヶ谷さんは吸わないの？」
「……愛煙家程ではないです」



失礼極まりない俺に苛立ちを隠せぬように、歩く速度が速くなった。うん。線引かれたわ。反対側に。
しかしまだ、壁程ではない。



嗜む程度には、吸うのね。
おっけー。


その背中に、ついていく。
着いた先は、喫煙スペースだった。



「一服して行こうよ」
「………」


視線だけで、『此処だ』と告げた標的(ターゲット)の腕を掴むと引き、顎を軽く突き出しで喫煙スペースをさした。



きっと、彼は呆れたように腕を振りほどくだろう。



「敬語を使って頂けませんか」



軽蔑した瞳で。

12 K→←10 K

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す