愛執の呪い (ページ14)

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なぁ、チカ。そう言いたげに、八重田は近本を見つめる。
視線を落とし、何も言わない彼を優しく微笑みながら眺める八重田は、もう一度手を伸ばして彼の頬を撫でた。

「…チカちゃん。髪伸ばしてた時、綺麗な髪やって言ってくれたんチカちゃんだけやったし、野球が上手くいった時、いの一番に褒めてくれたんもチカちゃんやった。」

血の気を感じない八重田の手の冷たさと、言葉にふっと視線を上げて近本は彼を見やる。

「高校の時も。そういや、辰巳も良い奴やった。よく理由も言わず遅刻してくる俺に、あれこれ聞かず関わってくれてたの、チカちゃんと辰巳だけやった。」

今までで嬉しいと感じた事を全て口にしていく。
プロになってからや、プライベートでの事など、引き出しは幾つもあり話が絶えない。
懐かしむような、幸せそうな暖かい表情の八重田は、輪郭をなぞるように近本の頬に手を這わせる。

「……病気なん知らんかった。」

「言ってへんかったもん！監督は知ってたけどなー。今季始まってから、丁度節目やし辞めるって言っててん。」

「28まで生きてんねやろ。もう、死んだりせえへんよな。」

「んふふ、死なへんよ。ただ、疲労が蓄積されただけやと思うから。」

窓の外に浮かぶ、朧気な繊月は力無く周辺の夜空を照らしてなんとはなしに存在を主張する。
普段から八重田を避けて生活をしていた近本だが、今日はどこか素直で、彼の瞳は寂しげなものだった。
それが心底嬉しくて、彼とは裏腹に八重田の表情は常に笑顔でいた。

「すみません、もう面会時間いっぱいで。」

扉がノックされて開いたかと思えば看護師が顔を覗かせて近本の退出を促す。
立ち上がり、背中を向けた近本に八重田は

「チカちゃん好きやで。」

と、声を掛けた。
「ん。」とだけ返事をした近本は、自身の荷物を持って扉方向へと歩みを進める。

「奥さん大事にね。」

どこか寂しくて、消えてしまいそうな声に思わず振り向いた。
いつもと変わらない、腹が立つ程に大好きな優しい笑顔を浮かべたまま不思議そうに首を傾げる八重田に、余計腹立たしさを覚える。

呪いたくて仕方が無くて、結果は呪う以前に弱い人間だった八重田は同情を誘うと同時に罪悪感を募らせる。

「また来るから。」

そう言って片手を上げると、近本は薄暗い廊下へ出た。
夏、病院、夜。恐怖心を掻き立たせるのには十分すぎるものだった。