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好きだからと言っても、どうこうなりたいわけじゃない。なりたいわけではないのに、心のどこかではもしかしたらなんて夢見てる自分もいて少しモヤモヤする。本心はどれなのか。考えないようにはしていても、一瞬でも考えてしまうと深く考えてしまう。
「Aちゃん?」
名前を呼ばれてハッと我に返る。そうだ、今は片付けをしていたんだった。完全に自分の世界に入っていた私を呼び戻してくれた松川さんに謝って止まっていた手を再び動かす。
「松川さん、お待たせしました」
「よし、じゃあ行きますか。タンパク質を取りに」
「その言い方やめてください。今日は食べまくるんですから」
「俺の財布に優しくないこの子」
「あ、奢りですか?ご馳走様です」
お手柔らかに、と言って先を歩く松川さんの後に着いて行く。まだ19時にもなっていないからか社内はまだ明るい。どのフロアも電気がついてた。エレベーターに乗り込んで地下に降り、今日は車で来ていた松川さんの車に乗り込む。松川さんの車に乗るのは初めてだ。社用車で松川さんが運転することはよくあるが、松川さん自身の車に乗るのは今回が初めて。
薄暗い車内、いつもとは何かが違う空気、社用車とは違って松川さんの匂いがする車、緊張する。手に汗が滲む。胸がドキドキする。ほんの少し違うだけなのに、車に乗っていることは普段と変わらないし、二人きりの車内だって、慣れているはずなのに、これが仕事ではないからか、無駄に緊張する。落ち着くために控えめに深呼吸する。
地下の駐車場から出て、すぐ信号に捕まった。車内での会話はどこかぎこちない。緊張から松川さんの顔を見て会話することが出来ない。
「Aちゃん緊張してんの?」
「そりゃあ、仕事じゃないですし、いつもは歩きでしたから……というか、松川さんも、ですよね」
「はは、バレたか」
そう、私だけではないのだ。松川さんも、緊張していることが会話している中でわかった。
「松川さんも緊張するんですね。商談でも緊張している時ってあまりないように見えるので」
「そりゃあ、俺も人間だからね。好きな人とプライベートで食事するんだ。緊張しない人間がいるなら教えて欲しいね」
「………そう、ですね」
“ 好きな人 ”
その言葉に胸がぎゅっと鷲掴みされたかのように痛む。わからないほどバカではないし、こんなにストレートに言われていては無視も出来ない。
上司と部下、この関係はきっと変わることはないと思う。
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作者名:お湯 | 作成日時:2019年5月9日 19時