逃ガシテオクレ、戯言ヨ【太宰治】

♡ ページ2

「はあぁ」


左手首に巻いた安物の腕時計は短針が11、長針が6を指している。


誰もいなくなった探偵社の事務室に八つ当たりに投げ出した本日n回目の溜息がこだまする。
当然今は1人だから誰にも突っ込まれないものの、昼には国木田さんに「しつこい！」と怒鳴られ、
夕方にはバイトのナオミちゃんに「幸せが逃げちゃいますわ。」と困ったような笑みを向けられた。

幸せが逃げると言われても、今日の私に幸せなどないのだからととほほな私は自虐する。

今日は本当に災難だった。
1年分の不幸が全て今日に回ったんじゃ無いかというほどの。

なんせタチが悪いのは、武装探偵社では日常茶飯事の、異能によるトラブルのような労働災害ではなく、完全にプライベートで浮上したトラブルであるから。

電車で小汚い中年男性に下半身を触られ、資料室の本棚に並べられたファイルが雪崩のように降り掛かり、挙句に体調不良の先輩事務員さんの書類の引継ぎを頼まれ、断れない私は無事6時間30分残業をしてしまった。


こんなに頑張った私には何か褒美を与えねばと浮腫んで血流の悪い脚を引きずるようにコンビニに連れて行く。


いくら都会であるヨコハマの夜といえど、探偵社と社員寮を結ぶ道にはある程度の距離はあるし、それに加えて街外れであるからか、深く暗い中頼りとなるのはほんのり青白く色めいている月明かりと、数百米ごとに佇んでいるお利口さんな街灯のみだ。

職業柄、ポートマフィアには特に狙われやすいと思うし、
私は武装探偵社社員ではあっても所詮事務員だから、与謝野先生のようにばったばったと人を薙倒す技量も無ければ、鏡花ちゃんのように咄嗟の判断力や反射神経に優れているわけでもない。

喰われても為す術を持たない典型的な弱者、
人質には丁度良い、弱肉強食な裏社会(夜の街)のピラミッドの最底辺が現状なのである。

急いでお酒とおつまみを買って帰ろう。
気怠い脚に鞭を打つように、1人大きく頷き最寄りのコンビニへ小走りで向かった。

暗い道を暫くおっかないながらも駆け抜け5分。
私の目の前には暗い夜の中から主張するようなLEDライトが見えた。

やっとついた...。
此処は探偵社と寮のほぼ中間地点にあるからそこまで遠くはない筈だが、臆病な私には体感で少なくとも5倍には感じられた。

あとはお酒とおつまみ...。そうすればミッションコンプリートである。
もう一度鞄のストラップを握り直し、重い硝子扉を押した。

♡→←【Prolog＆Setting】

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す