渡る世間に 21 ページ44
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「あ、ごめ…」
突き飛ばした勢いで逃げ場がなかった腕が、藤ヶ谷の顔に当たって戻ってくる。
「あの、さ、藤ヶ谷…」
「ちょっと黙って」
え、何?
人差しを口に当てながら、もう片方の手でオレの口を塞ぐ。
一瞬の沈黙。
「!?」
小窓から聞こえてきたのはエンジン音。
「聞こえた?」
頷くと、藤ヶ谷は手を外した。
「店長の車?」
「そうだと思う」
二人ともそう思うんだから間違いない。
エンジン音が続くまま、裏口のドアが開いた。
「お疲れ様です」
「まだいたのか」
「はい。ちょうど帰ろうと思っていたところです」
藤ヶ谷が店長と話している間、オレは事務室にかけてある白いジャケットのポケットを探っていた。
「あった!」
店長の忘れ物、みっけ。
そのまま事務室を出て二人のところへ向かう。
「店長」
「おぅ、北山。おまえまだ赤ずきんやってんのかよ」
「え、あ、このまま片付けしてたんで」
ふぅん、という店長に
「コレですよね。探し物」
スマホを差し出した。
「よくわかったな」
「怪盗キッドの衣装で電話してたの覚えてましたから」
「サンキュ!これだよ。正解」
受け取ってポケットに入れる。
「ケータイ忘れるとかシャレになんねぇわ」
「命より大事ですよね」
「命の方が大事だろ」
店長はエンジンをかけたままの車に乗り込む。
「遅くなんねえうちに帰れよ」
オレたちは店長の車を見送ると、ロッカールームに戻る。
「さっさと着替えて帰ろっか」
「何それ、ダジャレ?」
「ダジャレ?」
「帰ろっか、って」
「帰ろっか、帰ろっかー、かえロッカー!
全然気づかなかったわ」
帰ロッカー!を繰り返して藤ヶ谷が一人で笑ってる。
「何?おまえそれ気付いてなかったの?」
「気付いてたら言わないって!やばすぎでしょ帰ロッカー」
言ってまた笑ってる。
何でもスマートにこなすくせに、こういうとこ天然なんだよな。
絵もヘタだし。
そういや、名札のあの絵も酷かったっけ。
まだ笑ってる藤ヶ谷を見る。
こういうギャップ、嫌いじゃない。
赤ずきんのポンチョを脱ぐと、専用のハンガーにかけた。
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作者名:lettuce | 作成日時:2022年9月11日 2時