唇とマーマレード 5

214 ページ14

ミコノス島最後の夜、私はよく眠れなかった。

彼はもう覚悟が決まってるのか、いつものように行儀よく私に手を出したあと、

子どものように健やかな寝顔をして、１人で夢の中に旅立ち中。

…まだ覚悟の決まらない私はこうして、彼の規則正しい寝息を聞きながらため息ばかりをついていた。

お互い大人なんだから、無理に離婚させられることは無いだろうけど。

本当に私達は、この旅に戻って来られるんだろうか。









翌朝、私達はミコノス島からアテネで飛行機を乗り継ぎ、帰国の途についていた。

いつもみたいに快適な席じゃなく、エコノミーで。

選んだのは彼だ。

「これからは贅沢できなくなるだろうし
こういうのにも慣れておかないと」

彼の言うことはもっともだけど、手足の長い彼が窮屈そうにエコノミーに座っているのは、なかなか不憫に思えた。

「狭いでしょ、思ってたより」

「狭いけど、乗ったことあるから、エコノミー」

「あるの！？」

「大学の友達の旅行に行く時は、大抵エコノミーだった」

そっか。

友達ともよく旅行に出かけたって言ってたね。

その時は、相手に合わせてたんだ？

なんか意外。









約15時間のフライトは本当に退屈なのに、彼は優雅に映画なんか見てたりする。

昨日よく眠れてない私は、彼の肩に体を預けて何度もあくびを噛み殺した。

「寝ていいよ」

彼はそんなことを言ってくれるけど、なんだか眠るのが怖いんだ

目が覚めたら私は、何もかも取り上げられてるような恐怖を感じて。

「寝ないでおく」

「もう少ししたら、俺も寝るから」

前日に予約したせいで、私達の席は真ん中の３列シートで。

隣席には誰もいないけど、なんだか落ち着かない。

「アテネ空港には誰もいなかったね」

もしかしたらまだ、瑠璃子さん達が張り込んでるかもって思ってたんだけど。

「もうとっくによその国に逃げてるって思われてんじゃないの？」

ならいいけど。

あんまりうまくいきすぎて、私には嫌な予感しかしないんだ。









そのうち、もたれてたはずの彼の肩が急に重くのしかかってくる。

さっきまで会話をしてたはずなのに、彼はまた勝手に眠ってしまってるみたいだ。

何でそんなにリラックスしていられるわけ？

日本では、とんでもなく恐ろしいことが待ち構えてるかもしれないのに。

215→←213

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す