唇とマーマレード

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瑠璃子さんが店を出てすぐ、太輔は向かいの席に座ってきた。

「…今の何？」

って、また機嫌が悪い。

「いいことをしてみようと思って」

「いいことって…
ハネムーンを不倫相手に譲ることが？」

「こんないいことをしてあげるのに、何で太輔に怒られなきゃいけないわけ？」

なのに太輔は、

「俺はそんなことに怒ってるんじゃなくて…」

そう言って、切なそうに目を伏せてしまった。








「太輔？」

そのまま何も言わなくなった太輔の、机の上に無造作に置かれた手の甲を指先でつついてみた。

「もう私のことで怒んないで
瑠璃子さんの立場で考えてみたら、
婚約者をポッと出の女にさらわれて、速攻で結婚されちゃって、
最後にクリスマスデートしてもらったら、偶然奥さんに見られちゃって、
それで憎らしいその奥さんに頭を下げなきゃいけないわけよ
かわいそうじゃん」

そんな私の言葉にも、太輔は不満げに溜息をつく。

「そうじゃなくて…、俺が腹を立ててるのは、
Aのことを誰も大事にしてないってこと
A自身もそうだし、旦那もさっきの人もね
Aがハネムーンを譲るとまで言ってんのに、あの人、辞退する素振りすらなかっただろ
みんな自分のことしか考えてないんだと思ったら…、なんか腹が立つ」

太輔の怒ってる理由はちょっと難解だけど、私を心配してくれてるっていうのはわかるから。

「ごめんね、ありがとう」

そう言って、その手の甲を今度は優しく撫でてあげた。

節くれただった細い手の甲は、そのまま踵を返して私の手を握り込んできた。

「もっと自分を大事にしたら？
見てらんないんだけど」

でも、すぐに手を離してしまった太輔は、

そのまま伝票を掴んで、席を立ってしまった。









その日の帰り道、まだ太輔はご機嫌斜めでろくに口もきいてくれなかったけど、

別れ際、

「あっちでハネムーンを譲って、Aはどうするわけ？」

そう言って、私を呼び止めた。

「帰国する」

「帰国して、あの部屋に帰んの？」

「実家に帰ろうかな」

「実家の人はハネムーンに行ってるって思ってんだろ？
そこに娘が１人で帰ってきたら、親はどう思う？」

そうだった…。

なるべく親には心配をかけたくないし、何も知らないでいてほしいんだけど。

「帰国の便が分かったら連絡して
迎えに行くから」

そう言い残して、太輔は夜道を引き返していく。

まだ怒りを秘めたその背中が見えなくなるまで、私はぼんやりと見送っていた。

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