弍 ページ12
壬氏が扉を叩くと、凛とした声が短く「どうぞ」といった。
中に入ると赤い髪の美女が柔らかい巻き毛の赤子を愛おしそうに抱いていた。
赤子の頬は薔薇色で、母親譲りの色素の薄い肌をしている。
健康そのもので、半開きの口から可愛らしい寝息が聞こえる。
「かのものを連れてまいりました」
「お手数をかけました」
壬氏の口調は先ほどの崩れたものではない。
分をわきまえた言動である。
玉葉妃は壬氏とはまた違った温かい笑みを浮かべると、Aに頭を下げた。
Aは驚いて目を見開く。
「そのようなことをされる身分ではございません」
失礼のないように、言葉を選びながら述べる。
「いいえ。私の感謝はこれだけではありません。やや子の恩人ですもの」
「なにか勘違いなされているだけです。きっと人違いではありませんか」
冷や汗をかく。
丁寧に言ったところで否定ということに変わりない。
首ははねられたくないが、関わり合いにもなりたくない。長いものに巻かれたくないのである。
玉葉妃が少し困った顔をしたのに気付いた壬氏は、ぴらぴらと布きれを見せつける。
「これは下女の仕事着に使われる布だって知っていますか？」
「そういえば、似ていますね」
あくまでしらばっくれる。
無意味だとわかっていても。
「ええ、尚服に携わる下女用のものですね」
宮官は六つの尚に分けられる。衣服に携わるのが尚服で、洗濯係を主とするAはそこに分けられる。
生成りの裳は、壬氏の持っている布と同じ色をしている。
裳の内側、ひだでうまく隠れている部分に、奇妙な縫い目があることも調べればわかることだろう。
つまり、証拠はその場にあるということだ。
壬氏が玉葉妃の前で無礼な真似をするとは思わないが、しないとも限らない。
覚悟を決めるしかなかった。
「私は何をすればよろしいのでしょうか？」
二人は顔を見合わせると、肯定の意味でとらえた。
どちらも、目がつぶれるほどの優しい笑みを浮かべる。
安らかな赤子の寝息が聞こえる中で、Aは消え去りそうな小さなため息をついた。
Aは翌日、ほとんど何もない荷物をまとめなくてはならなかった。
小蘭や同部屋のものは皆うらやましそうにしている。
どうして、そうなったのか追及してくる。
Aは乾いた笑みを浮かべはぐらかすしかなかった。
Aは、皇帝の寵妃の侍女となった。
まあ、いわゆる出世である。
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作者名：泉 | 作成日時：2024年1月18日 22時
