七十六話 ページ36
炭治郎は何も言えなかった。
もし何か言葉をかけても今の彼女には届かない。
それどころか彼女を傷付けてしまう可能性すらある。
満面の笑顔を浮かべるA口を開こうとしなかった。
ただおぼろげな瞳で炭治郎の姿を反射している。
重たい沈黙が続くかと思いきや、意外にもそれはすぐ破られた。
「俺、明日お館様にお前らの監視員やめるって言ってくる」
「…えっ?な、何で」
「最初は不安だったんだ。お前らが自分で自分の首を絞めたりしないかって」
炭治郎の胸の中に嫌な予感が渦巻く。
仮にここで炭治郎が拒まなければ、お館様の事だ。きっと了承してくれる。
でも炭治郎はそれが嫌だった。
彼女が監視員をやめてしまえば自分達を繋ぐものが何も無くなってしまう。
Aに会えなくなるのが怖かった。
「っお、俺は」
「でも、大丈夫みたいだ。お前も禰豆子も強いからな。俺なんかがお前らを助けるなんて無理に決まってるし」
冗談じみた口調も本気なのだと炭治郎は直感する。
貼り付けた笑顔も、輪郭の細い身体も、今にも空気に溶け込んでしまいそうだ。
まずい。
炭治郎は本能のまま行動を起こす。
その後の展開を考える暇なんてなかった。
大股でAに近付く。
少し驚いた顔を見せたのも束の間、気付けばその顔は見えなくなっていた。
「お、おい炭治郎?」
微かに焦った声が耳元で聞こえる。
抱き締めたその体躯はあまりにも細くて、離してはいけないと力を込めた。
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作者名:名梨 | 作成日時:2020年1月12日 18時