幾夜寝覚めね

三十一 ページ32

まともな身なりをして人前に出るのが久しく感じる。
楼主の言う通り、私は呼出昼三に位上げになった。
近く控えたお披露目道中の召し物作りに呉服屋、仕立て屋が訪ねてきていた。

「こちら越後屋様と仕立ての飴村様。打掛に帯、一式をそろえて頂くから粗相のないようにおし」
「あい、女将さん」

とんとん拍子に進んだ話に、未だ不安が拭えない私と対照に目の前の仕立て屋は愛くるしい笑みで
こちらを見つめている。

「ボクは飴村乱数！お姉さんの仕立てを任された男仕立て。よろしくね！」
「本日は宜しくお願いいたしんす」
「うんうん、それじゃあ早速始めようか！」

呉服屋が様々な反物を並べていく。浦場柳、縹、瑠璃紺、菖蒲…。
ふと目に留まった物があった。

「おっとお目が高い。鉛白を選びなさるとは！これが似合う方は中々いませんよ」

なぜ目についたか。理由は簡単だ。あの方の髪の色だから。

「いえ、これはあちきには…」

私は慌ててその反物を返した。未練がましいもあった物じゃない。

「えー、似合うと思うけどなぁ。お姉さん肌も白いし、良く映えると思うけど！
そうだなボクだったら」

そういうと飴村様は巻物を広げると、筆で文様を描き出した。
流れるような筆の動きは、次々と花を咲かせていく。
気が付けば、その運びに息をするのも忘れて見入っていた。

「こんなのどう？」

金で縁取られた花が所々薄く色づけされている。

「金赤？珍しい御色でござりんす」
「でしょでしょ！そこがポイントなんだよ！」

素敵。その一言が口からこぼれた。

「それじゃあ決まりだね！打掛はこの模様で仕立てるよ！」
「あい」

鉛白色にやや抵抗があったが飴村様の花柄に、それを消してしまうほど魅力を感じてしまった。
これを着て道中をする自分を思い浮かべて、鬱々しかった気分も少しばかり晴れた。

「帯と下駄の鼻緒の柄も決めちゃおう！」

「……頑張ってよね」
「え？」
「なんでもないよん！」

飴村様は何となくはぐらかすと、帯の反物を選び出した。
これでやっと先に踏み出し、将来を見つめて歩いていけるような気がする。

あれは一時の迷いだった、そう思えるような気がした。

三十二→←三十

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す