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完全に夜が明け切る前に彼の家を後にする。仕事着は職場にも置いてあるため、化粧だけを整えて着の身着のまま向かった。多少だらしのない格好をしていたところで、仕事柄特に気に留める者も少ないことが幸いしていた。
不躾な視線を寄越されることにも慣れていたから、涼しい顔をしてロビーを歩ける。そのなかに色の含まれたものがあろうが、あらぬ噂を聞いたのか軽蔑するようなものがあろうが、私にはどれも関係のないことだと言い切れるくらいにはどうだってよかった。
ただ一人、声をかけてくる人物を除けば。
「おい、A」
「……中原幹部。おはようございます」
「おう。おはよう」
聞き覚えのある声の方向へと振り向けば、自分の目線より少し低い位置にある蒼の双眸がこちらを見上げていた。ちらりと服装を見て大きくため息を吐かれる。
「またか手前。何度も言ってんだろ。身だしなみくらい整えてから出勤しろ、て。業務の関係上仕方ないのはわかるが」
「申し訳ありません」
「見ての通りポートマフィアは基本的に男所帯だ。ないとは思いたいが、一応気を付けとくに越したことはねぇぞ」
「ご忠告感謝致します。以後は改めますので……」
「手前はいつもそういって俺の言うことを聞きやしねえ」
まあいい、今日もしっかりな。そう締めて奥の幹部専用の昇降機へと歩いていく後ろ姿に十秒ほどお辞儀をしてから自身も反対側の機体へと乗り込んだ。
声をかけてきた中原幹部とは私が四年前ポートマフィアに加入してからの付き合いだ。付き合いというほど深い関係があるわけではないが、首領である森鴎外直属の情報員にまでなった今、何かと関わることも多いのだ。
構成員が立ち入れる区間の中では一番高層にある階で降りると、近くの部屋へと無遠慮に入っていく。私程度の階級で個室が与えられることなどあり得ない話なのだが、ロッカールームとちょっとした室内スペースの設けられたこの部屋は、情報員唯一の女性である私にとっては個室とほとんど変わりがなかった。
今更ここでの仕事に怖気づくことも罪悪感を抱くこともないが、組織に絶対の信頼を置いているわけではない。忠誠を誓っているかと聞かれても、拾ってくれたことに感謝はしているといった具合だ。
少しくらい、気を緩められる場所があったっていい。
何分かぼーっと壁を眺めた末、着替えを済ませて昨日確認した予定を頭の中で反復して再び廊下へと踏み出した。
仕事の時間だ。
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雨雲り(プロフ) - とても好きです。占ツクでここまで引き込まれる作品に出会えたのは本当に久しぶりに感じます。作者さんの事情もあると思いますが、更新楽しみに待ってます。 (2021年8月31日 4時) (レス) id: e92c8698d4 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:仮名子 | 作成日時:2021年8月14日 19時