焦燥チェーンソー ページ8
『失礼しました。』
社長が私の書類に目を通しながら軽く頷く。
それを視認し、一礼して、社長室を出る。
書類提出と同時に、鏡花の初仕事に対しての懸念を伝え、依頼人と何かいざこざがあれば上手く話をつけておいてほしい、と頼んでおいた。
“分かった。何かあれば私が対処する。”
こういう返事を即答してくれる社長。探偵社員をまとめ上げられるのは、その人徳ゆえでもある。
“有難う御座います。”
所で、私が敬語を使ったのを初めて見た人達は、
例外なく皆、口を揃えてこう言う。
──お前、敬語使えたのか…？
社長も今少し目を見開いていたし、トラ男君なんてペンを落とした。
私のいつもの口調、そんなにインパクトがあるのかしら。
さて。考え事はこの辺にして。
動かしていた思考と足を止める。
医務室の扉をノックして、中に入った。
『包帯さん、起きてるんでしょう？』
静寂。
『包帯さん？』
静寂。
窓から差し込む明かりが、閉められたベッドのカーテンの裏を、影として映し出した。
一瞬、息を忘れる。
反射的に近くにあった充電式チェーンソーを握り、電源を入れた。
消毒液の匂いがふわりと漂うカーテンを開ける。
天井に掛けたロープで、首を吊る彼の姿。
ベッドに飛び乗り、チェーンソーの刃を思いっきりロープに押し当てる。高速回転する刃が、耳障りな機械音をたてて親指の根元ほどのロープを呑み込んだ。ピンと張っていたロープは、音もなく切れた。
チェーンソーをそのまま投げ捨て、
崩れ落ちてくる彼の体を受け止める。
「ｯ、は…」
幸い、彼はすぐに意識を取り戻した。
「ｹﾎｯ、ｹﾞﾎ、全く…もう少しで逝けそうだったというのに。」
『包帯さん。』
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「ああ、麗華ちゃんか。すまないね、私の未遂で迷惑をかけて。」
掠れた声。少し緩んだ包帯の隙間から覗く、首輪のような赤黒いロープの跡。
『痛いのも苦しいのも嫌いなんじゃなかったの？』
言葉が溢れる。
『生命力は人外の範疇だから、生きたがりかと思えば、こんな事ばかりしてる死にたがりさん。
──本当にもう…勘弁してよ。』
「麗華ちゃ」
包帯さんは何かを言いかけて、目を見開いた。
私の震えに、浮かんだ冷や汗に、今頃気付いたのね。
『無事で良かった。』
腕の中の彼を、思いっきり抱きしめた。
『仲間が死ぬなんて、私は認めないわ。』
──絶対、死なせない。
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作者名：ミカン酢 | 作成日時：2022年10月22日 16時
