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彼女を視界に入れた瞬間、さっきまでの不安が嘘のように消えた。確証もないのに“まだ嫌われていない”と安心した。
「A、」
「ずっと謝ろうとしてくれてたよね」
謝らなきゃ。そう思って口を開きかけたら彼女の声で遮られて、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「分かっていたのに、避けてしまってごめんなさい。顔を見せてしまったのは私の不注意だったのに、坂田は何も悪くないのに、自分の気持ちが整理できないからって理由つけて逃げてしまってごめんなさい」
そう言って頭を下げた彼女に、慌てて駆け寄って頭を上げさせた。
「屋上に誰かおらんか確認しんかった俺も悪いし、好きでもない相手に顔を見られたら女の子なら怒って当然やし、気持ちを整理させる時間は誰にだって必要やと思うし、」
「俺の方こそ、ごめん」
やっと言えた、ごめんの一言。目をぱちくりと瞬かせたAが緩やかに笑ったのが、目元を見て分かった。
「じゃあ、お互いの不注意ってことで、謝るのはこれでおしまいってことで、どうでしょう？」
「いいと思います」
敬語で話し出した彼女に俺も乗れば、釣られてクスクスと笑いを零した。
よかった、嫌われてなんていなかった。その事実に肩の力が抜けた。
「そう言えば、なんでマスク外して歌ってたん？」
ふと疑問に思っていたことを口にした。するとAは、ふむ、とマスクに手を添えて語り出した。
「1回だけでいいからマスクを外して歌ってみたかったの。昔はね、マスクをつけないで歌うのは当たり前だったんだよ」
「マスクをしながら歌うのって、とても窮屈だと思う。昔なら遠くまで届いていたはずの歌声が、曲に込められた想いが、今の世界じゃ全てを届けきれない。ましてや、人前でマスクを外すなんて言語道断。昔の人達が羨ましい」
「誰かが言った。明けない夜はないんだって。確かにそうかもしれない。でも現実は違う。医療技術が進歩しても、誰か一人がルールを守っても、それを上回るたくさんの感染者がいた。進化し続けるウイルスと、我慢できない人達がいたから」
「だから当時生まれていなかった私達の世代も、こうしてマスクをつけている。お互いの本当の顔も知りやしない」
「坂田は別だけど」そう言って笑うAの瞳には喜色が滲んでいた。
「ねぇ、私の顔どうだった？」
「教えてよ」ジリジリと近づきながら、そうせがんでくるAに、抑えていた気持ちが堰を切ったように溢れ出した。
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作者名：作者一同 | 作者ホームページ：
作成日時：2021年7月29日 22時
