天才と凡人�� ページ17
和彦side
病室に入って見えたのは、今にも泣き出しそうな顔をした百合だった。
体には全く力が入らないらしく、俺が入っても百合の顔がこちらに向けることはなかった。
何も言わずに長い沈黙。
「私は、お金のために騎手になった」
誰が来たのかは察したのか話しだした。
百合の父は働かず嫁が稼いだ金で競馬三昧、母が必死になって毎日働いていたらしい。
百合が長女で、下3人は最大で10個も離れていた。
母がこれ以上働いたら死んでしまうと思った。
弟たちは高校へも行けないと思った。
女が大金を稼ぐには夜の仕事か、ろくでも無い父親が好きだった競馬の騎手しか道がなかった。
騎手になって必死に働いて、少しいい暮らしができるようになってきたのに...私の手術費にリハビリ、他にも色々で...
「死んだほうが良かったよね。死ねば、保険も限度額降りて...暫くはちゃんと暮らせて...」
俺は、そう話す百合に何も言えなかった。
俺とは背負ってるものが違った。
重みも何もかも。
俺、何か目標あったっけ？
夢、あったっけ？
なんで、騎手になったんだっけ？
何も、なかった。
「騎手、まだ...やるよな？」
何でこんな声をかけたのか、今も鮮明に覚えてる。
「無理...もう何も動かない...から」
まだ、駆け抜けてほしかったから。
「俺が、お前の弟たち全員高校でも大学でも行かせればいいのか？母親が贅沢して暮らせれば満足か？」
馬に乗ってなくてもいい。
「お前が望むなら、いくらでも金は俺が出す、だから！！生きろよ？絶対だからな？」
生きてほしかった。
何も知らない俺はただそれだけ言ってその場を逃げ出したのを覚えてる。
◆
◆
◆
「Aのダービー...いつ見てもそっくりね」
「さぁな」
車椅子を押しながら、ドンがまた厩務員を引きずってるのを遠目で見る。
「羨ましい。親子で1着2着だもの。私も、3着にいたかったな」
そういうお前を見るのはいつだって胸が痛んだ。
「悲しい顔しないで？最近すごく調子が良くて、毎日楽しいのよ？」
「テレビを見ればいつだってAと貴方が激戦だもの」そうニコニコしながら言う。
百合の病室から逃げ出した10年後。
俺は、ダービーに勝った。
ーー俺には、お前しか考えられねぇから。結婚しろ
上から目線の、付き合ってすらいない男からのプロポーズに泣くほど喜んでた百合。
ダービー勝ったあとの騎手インタビューでそれを言ったもんだから軽く世間から叩かれたのは言うまでもない。
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作者名：伊織 凛 | 作成日時：2023年6月18日 15時
