アトリエに残された桜 (ページ10)

今日:1 hit、昨日:2 hit、合計:32,251 hit

9. ページ10

「真っ白なキャンバス…？」

忘れたはずのキャンバスの存在が再び強さを増す。そのキャンバスはまるで今の俺の象徴のようで布の一枚でも被せておくべきだったと後悔した。

『あ…それは……』

翔くんがキャンバスに近づく。

俺の中に緊張が走り、翔くんを止めようとして伸ばしかけた手が止まる。

それに構わずキャンバスの前に立った翔くん。あの時にも感じた横顔の儚さが蘇る。それに再び魅了され、儚くも美しい、まるでミロのヴィーナスから腕が現れたかのような翔くんの手がキャンバスの表面の僅かな凸凹に触れてこう言った。

「このキャンバスはどんな色に染まるんだろうね」

ほんの、些細な一言。

その瞬間、俺の中に"何か"が駆け抜けた。その"何か"が何なのか、あと少しで、もうちょっとで、ほんのちょっとで、掴めそう………

「ねぇ、これはどんな作品にするの？」

ふいに翔くんがこちらに振り返った。

『あー…それはまだ…決まってなくて………』

その質問に答えるべく反射的に脳が稼働して掴めそうだったそれは……掴めなかった。

.

「…………そろそろ帰ろうかな。ごめんね、急にお邪魔しちゃって」

『……いや』

不穏な空気が流れ、翔くんが徐にそう言った。
俺は大した返しも出来ず、ただ絵の具で汚れた部屋の中に佇むことしか出来なかった。

顔を見ることすら出来ない中、玄関へ向かう翔くんが俺の横を通り過ぎた時、翔くんが

「また来るね」

そう言った。

また、なんて。

そんな…………………………

.

ﾊｯ

そこでようやく、俺が翔くんに気を遣わせていたことに気づいた。

アトリエに行きたいと言ったのはどうだったか分からないが、アトリエの中での行動や言動、あれは俺への気遣いがだったんじゃないかと今になって思い当たる節がどんどん出てくる。

謝らなくては。

謝って、改めて、中を見てもらって、ちゃんと説明して……それで……！

"楽しかった"って思ってもらいたい………！

そんな思いに今更行き着くと、翔くんが通り過ぎていった後ろを急いで振り返る。勢い余ってそのまま一回転でもしてしまいそうに思ったが、そんな心配を他所にして俺の視界に入ってきた光景は。

丁度、玄関の扉が閉まる瞬間。

遅かった。

思ってはいないのに頭のどこか、心のどっかでそう感じた。