アトリエに残された桜 (ページ6)

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『櫻井さん、はよくここに来るんだね』

相葉雅紀くんが厨房へ消えて一拍、何か会話を、と思った瞬間に口から出た言葉だった。

「下の名前でいいよ」

『そっか、じゃあ俺のことも下の名前で呼んでよ、翔くん』

翔くん、なんて。
よく言えたな。いや、人と喋れない訳ではないけれど翔くんの言葉に対してこんなにサラッと答えられるなんて、と自分で自分に驚いてしまった。どうも、緊張しているのは俺の心の中だけだったみたいだ。

「分かった、智くん、だね」

智くん。
ちょっとだけイントネーションが聴き慣れず、引っ掛かるけどこんなにも名前を呼ばれて心が躍ったのは初めてだった。やっぱ、イケメンは違うんだな。

「相葉くんの料理、美味しいからよく来るんだ」

逸れた話を翔くんが戻した。
なんとなく予想通りだった答えにそうなんだ、と軽く流してしまった。相葉雅紀くんはまだ来ない。

少しの沈黙が流れた。
奥から炒める音が聞こえる。
美味しそうな油の匂いが心地良い。これは嫌な匂いじゃない。とても、ワクワクする。

「智くんはこの辺に住んでるの？」

住んでいる、と言えば嘘になる。何故ならあのアトリエはアトリエであって、自宅ではないからだ。自宅はここよりザ・都会で息苦しい所にある。

『うーん…住んでる…訳ではないかな』

語尾を濁すように答えた俺は次に、俺の職業を言うべきかどうか、迷っていた。それと同時に今まで頭のどこにもなかった締切迫る仕事のことを思い出した。

「もしかして、この辺に別荘があったりとか？」

別荘か。
あながち間違いじゃないのでそう言って誤魔化し切ることも不可能じゃないのかもしれない。
だけど、俺の中の誰かが「彼には嘘を吐きたくない」と言っている。

『別荘じゃなくてアトリエがあるんだ』

馬鹿みたいに素直に正直に、そう言うと翔くんは意外にもパッと目を輝かせた。

「アトリエ！？カッコいいね！！何処にあるの！？」

急にまくしたてられてキラッキラの目がどんどん迫ってくるこの状況に逃げない奴がいたとしたら師匠と呼びたい。

『いや、そんなに驚くかな』

「驚くよぉ～智くんてアーティストなの？」

『あー…うん、ちょっと絵とか描いてて』

「へぇ～凄いねぇ」

ちょっとだけむず痒く、ちょっとだけ心がざわざわしていた。