八話 ページ10
それから数日の宿泊と迷子を経て。
Aが江戸にたどり着いたのは夜ももう更けた頃だった。
しかし、街灯やネオンで周囲は明るく、建物からは楽しそうな人々の笑い声がする。
初めて見る都会の雰囲気に、Aは高揚感を覚えた。
先程持ち金を確認した限りでは、もって後一週間。
今日は早く宿をとって、明日にでも仕事を探し始めるべきだろう。
そう考えて歩を進めるが、都会の街並みは今迄通ってきたどの町よりも複雑だった。
あれこれと行き当たりばったりに道を曲がっているうちに、徐々に暗くて狭い場所に入ってきてしまう。
「また迷子だ……」
ここに来るまでも二度ほど迷子になったが、それは何だかんだと上手くいった。
しかし、今回の迷子はどうやら自力ではどうにもなりそうにない。
Aが来た道を戻ろうと踵を返したその時。
「あっ……」
丁度近くに転がっていたアルミ缶が足に当たり、壁に当たって反響する。
その余韻の余りの静けさに、Aの背筋を冷たいものが走った。
思わず空を見上げれば、冷たい満月がAを煌々と照らしている。
ぞわり、と。
江戸に着いた時の高揚感は、一瞬で恐怖に塗り替わった。
Aは息をするのも忘れてその場から走り出した。
ほんの少し前に通った道で、人とすれ違ったはずだ。
まずはそこに戻ろう。
暗いのは苦手だ。
満月は嫌いだ。
満月は、必ず私からすべてを奪っていく。
「誰かっ……！！！」
思わず漏れた小さな叫びが、いるかも分からない神に届いたのだろうか。
何度目かも分からない角に差し掛かった所で、Aの身体に急に衝撃が走った。
「うぉっ！？」
「……！？……はっ…はぁ……」
驚いたような低い声に、Aは人にぶつかったのだと、ようやく理解する。
自分を抱きとめた知らない腕。
早く離れなければと頭では考えながらも、Aはそのまま動けずにいた。
「君、大丈夫か？………って、すごい汗じゃないか！？」
青ざめた顔、額に浮かんだ汗。
Aを抱きとめた男とは別の男が、慌てたように叫ぶ声が妙に遠くに聞こえた。
焦点が定まらない。
目の前の男の黒い服だけが、視界をちらつく。
言わなければ。
ぶつかってごめんなさい。
ここから一番近い宿はどこですか？
Aは何度か口の開閉を繰り返し、ようやく声を絞り出した。
「……たす……けて………」
「！？」
ああ、違う。
そうじゃ、なくて。
弁明するよりも前に、Aは意識を手放した。
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作者名：Lea | 作成日時：2020年5月21日 17時
