日日是五色【ARS】 (ページ9)

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「濡れなかった？傘持ってたの？」

家に帰ると妻のソノコが俺と手にしていた紺色の傘を見て言った。

「会社の同期の子が置き傘貸してくれた」
「そう。よかったね」
「ん」

俺が飯を食う間、先に食事を済ませているソノコは向かいの席に座ってとりとめもない話をする。

近所の金木犀が咲いたとか、今度駅前に新しい蕎麦屋さんがオープンするとか。

いつもと同じ静かな夜。
いつもと同じ穏やかな時間。

さっきAさんと一緒にいる時に感じた正体不明の高揚感に少しの罪悪感。

俺はソノコが大事だし一緒にいる時間を大事にしていたし、これからもそうだ。

傘を返したら、もう二度と会うことはない。

傘を、返したら。

・

7日後はまた雨が降っていた。

仕事のあとレンタルショップに行った俺は、洋画コーナーにAさんの姿を見つけた。

「古い洋画が好きなんですか？」
「あ、二宮さん！」
「どーも。こないだ気狂いピエロ借りてたよね」
「大好きなんです、あの映画」

むかーし、観たな。

どんなだったっけ。
確か愛しあった二人が逃避行すんだよな。

Aさんが低い声でつぶやく。

「破滅は、もっとも美しい愛の形である」

ああそうだ、そのあと二人は破滅に向かっていくんだ。

「誰の言葉？ゴダール？」
「田村Aさんの言葉」
「なんだ」

くふ、っと笑いがもれた。
話してると楽しい。
どんな反応が返ってくんのか、わくわくする。

「大好きだから何回も観てて、でも借りちゃう。
真っ暗な部屋で小さい音でBGMみたいに流してぼんやりするのが好きなの」

「その時」
「え？」
「……あー、や、体育座りして観てそうですよね」

その時。

隣には旦那さんがいる？って聞きそうになった。

誰と観ようが自由じゃん。
何言ってんの。

もう帰ろう。

これ以上話してるとなんとなくあぶない気がする。

「二宮さん」
「はい？そろそろ帰」
「コーヒー飲みませんか？そこのカフェで」

え、と思ってAさんをちらり、と見ると。

慌てたように首を振る。

「ごめんなさい、だめですよね。
奥さんが待ってますもんね」

そうだ、ソノコが待ってる。
ご飯もできてる。

のに。

「……コーヒー飲みたい」

あーあ。

俺こんな自制心なかったっけ。

「いいんですか？」
「Aさんこそ。いーの？」

Aさんはちょっと笑って頷いた。