【文スト】きみも悪い人でよかった 第二章【中島敦】

六十二 ページ36

すると突然、敦君は「あ…」と声を出した


『どうしたの？』


私は聞いてみたものの、それは直ぐに判った


敦君の花火は、もう咲いていなかった

火の玉は落ちてしまったのだ



そして、たった一つだけ、私の手元にある

美しく咲き誇っている線香花火を、二人で、ただ眺めていた

夏の朝方の涼しい風が、柔らかく私の頬を撫でた


そして、私はあることに気がついた

ずっと云おうと思っていて忘れていた


そうだ、今云おう

早く、云っておかないと


『ねぇ、敦君。私、敦君と出会ってから、一つだけ嫌いな物が無くなったんだ』


「嫌いな物？それって…」


敦君は私を見つめる


『"明日"…明日が嫌いじゃなくなったんだ。昔は、明日が来ると思うと、終わりのない歩みを続けなければいけないって、迚も不安だったんだ』


「そうだったんだ…」


敦君は私の手を握った

私は言葉を続けた


『敦君は、私がどんなに道を間違えても何時も正してくれて、生きてても善いよって、私の隣を歩いてくれて、それで…本当嬉しくて……気づいて無いかもしれないけど、本当に感謝してて…』


ああ、どうしよう

この後、なんて言葉を云えば善いんだろう


そして私は、寝惚けた頭を精一杯回転させ、こんな言葉を選んだ


『私に愛を教えてくれて有り難う』

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