第五十六訓 ページ12
警鐘が頭の中で割れんばかりに鳴り響く。
だが止まれなかった。これ以上はまずい、と思っても何かに取り憑かれたように思うように体が動かなかった。
すると、彼女が俺の肩を押して唇を離す。急に冷気が頭を冷やす。思い通りに動かなかった体が嘘のように俺の脳からの信号に従った。酸素を求める心臓がバクバクと彼女に聞こえそうなほど弾む。
Aは少し疲れたように息をすると、「ごめん」と謝った。
「…私、おかしくなってる。こんなの私がいちばん嫌だったのに、したくなかったのに…どうしてか分からない…」
「いや俺も…悪ィ…」
一種の防衛機制だろう。気を紛らわそうとした。あの出来事を一瞬でも忘れたかった。だから、普段忌避していることも、求めてしまう。
そんなことなど分からない彼女は、さめざめと泣き出してしまう。よっぽど恐ろしかったのだろう。何もかも、特に己の行動が。
「あー、えっと…あるんだよ、人間には。こういう受け入れ難い状況に不安を軽減させる…心理的なアレが…」
「…そう、なんだ」
肉体は人間ではないが、その精神は人間に限りなく近いのだろう。彼女は少し泣き止んで、布団の中から出ていく。
「でも…もうしない。総悟だって疲れてるのに…私の我儘で…申し訳ないもの」
「A」
布団から体を起こし、部屋に戻ろうとした彼女を後ろから抱きしめた。襖を開けようとしていた手がすんでのところで止まる。行き場を失った細く白い指は彷徨い、俺の腕をそっと上から掴んだ。
「…俺を使えばいいだろィ。一応お前の世話係なんだから」
「………何それ」
少し彼女は笑って、振り返る。赤く腫らした目だが、いつものAにほんの少しだが戻ったようだった。
それから、俺の部屋に来てはキスだけ交わす、共依存のような夜が続いた。
効力なんてそのほんの一瞬のみで、キスした後は喪失感や虚無感に襲われるが、危ない薬のように、俺達は呑まれていった。
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作者名:ぽん酢ちゃん | 作成日時:2019年7月14日 19時