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「た、じゅ、樹さん、」
いろいろつっかえてやっと名前を呼ぶ。
手元をランタンで照らした樹さんが顔を上げる。
「……なに。」
「あの、今日はこれで失礼します、明日からお世話になります。」
荷物を持って頭を下げると、樹さんが体ごとこっちを見る。
「え、家、どこだっけ…？」
自分が住む町の名前を告げると、「………は…？」と返ってくる。
「えどこ、それ。」
最寄りではないけれど、知られていると思われる駅の名前を言うと、
「嘘だろ、」とぽかんとしている。
「……めちゃめちゃ遠いよな。」
「…………はい。」
実際はもっと遠くです、とは言えなかった。
「は？」
「え？」
私の方を見ながら背後の窓を親指で指して、「外、こんなんだけど。」と言う。
「あ、ああ、言ってなくてすみません、ちゃんと宿を取ってあるので、」
「………あ、そ、」
なんだよびっくりした、と言いながら樹さんはまた私を見る。
「…修理が終わるまで宿に泊まるつもり？」
「はい、え、」
「ストレートに聞くけど。金、あんの？」
驚いた。
いきなり押しかけて来て、時計を直せだの、直るまで毎日来るだの、わけがわからない
ことを言いだした小娘のことを気にかけてくれている。
「あの、大丈夫です、父の遺族年金が支給されてるので、」
戦争従事者の遺族年金は、なかなかの額だ。
それこそ、ひとり残された私が何も働くことなく大学に通えて、食べるのに
困らず、趣味の読書をするための出費を惜しむこともしなくてよいほどには。
しかも、遠く離れた田舎町とは言え、そこの名前を知らないくらいに離れたところから
ひとりでやってきて、月単位で宿に宿泊できる金額を捻出することもできている。
戦勝国とはいえ、破格の金額だと思う。
「なるほどね。」
納得した表情の樹さんが、立ち上がって部屋の隅にあるポールハンガーから
上着をとって着ている。
「宿、どこ。送る。」
「え、そんな、大丈夫です、」
「これから酔っ払いもうろうろし始める時間だから。」
「でも、」
「いいから。行くぞ。」
樹さんはそう言って、階段を降りて行った。
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作者名：月華
| 作成日時：2023年3月28日 1時
