【文スト】虫愛づる花嫁【小栗虫太郎】

18　極楽か否か ページ18

「では支度して参りますので……ご自由にお過ごしください」

「ーーーーうむ」


　トトトと小さく走り、Aは軽やかに書庫を後にした。
　その嬉しそうな笑みが、妙に記憶に焼き付いて離れない。


　なんて……いやいやいや。


「何でも無い！何でもないのだ！」


　空に向かって手を振り上げる。
　そしてハッと気が付き、手を下げた。


　俺は一体何をしている！


「…………」


　心を落ち着かせる為に、本を手に取った。


　流石は知の巨人と呼ばれた男の書庫。
　蔵書数は百万は有りそうな広い書庫に美しく整頓された本達。保存状態もかなり好い。


　無音の中に響く頁を捲る音。


　あの頃や、あの時の様な環境ではない。


　石造りの暗い部屋に閉じ込められている訳では無い。


　自由に知識を得て、出歩け、呼吸が出来る。


　あぁ、何と極楽


　美事(エクセレント)！


　下卑た笑いも無い。
　媚びた憂いも無い。

　拘束もされていない。
　見張られてもいない。
　痛ぶられてもいない。

　悔改も強いられない。
　首元も苦しく無い。
　小説の締切も無い。
　自首もしなくていい。


　好きに思想し、好きに発言する。


　衛生的な部屋、この洋館は隅まで清掃が行き届いている。
　書架も自由、食事も決まった時間では無い。
　

　丸で一般人の様な扱い。


　不安要素は一つも無い。



　ドストエフスキーの作戦に、
　ただ一度協力した対価である自由。



　探偵だって、いない。



　暴君も悪魔もいない。


「………否」


　不安要素は一つあった。
　此処には大量の推理小説がある。


　そして俺は推理小説の様に、


　この領域の一角に閉じ込められている。


　それはある意味、密室。


　密室に行けば、
　アイツにーーーー

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