【文スト】虫愛づる花嫁【小栗虫太郎】

01　むしかごのしたく ページ1

「あぅ……A、君。明日客人が来訪して……一寸の期間、客室で寝泊まりするのである」


　夜の紅茶をAが運んで来ると、この館の主がおずおずと震え声を洩らした。
　彼女は首を小さく捻る。


「はぇ？急ですねー、鬼蜻蜓(おにやんま)さんですかー？」

「乱歩君ならこんな云い方しないのであるよ……まあ、乱歩君からの頼みみたいなものである」


　モジャッとした髪に隠れた焦燥感で猫背になる主様。
　それでも、Aの小柄な体躯を覆う様だ。


「じゃー、蛺蝶(たてはちょう)さん？」

「探偵社の、者ではないのであるよ」


　その圧倒的な推理力から、複眼に拠る視野の広さと頭の回転の速さで「鬼蜻蜓さん」、
　金の髪飾りと艶やかな姿から「蛺蝶さん」と渾名を付けた女医……我が主様はこの奇特な私の趣味にもう適応している。


　拾って貰って、そんなに経っていないのに。


「はあ、とりあえず分かりましたー。どんな方です？どの様なご準備を？」

「えー、えっと……我輩も実はよく分からないのであるが……」


　因みに我が主様は、蛾の幼虫っぽいので密かに「熊毛虫(くまけむし)様」とお呼びしている。


　ほら、毛虫って、思慮深い顔して奥ゆかしいから。
　実際は見た目から名付けたけど。


「あ、そうだ！各部屋に、1セットずつ原稿と墨を用意してほしいのである！」


　唐突な大声。
　珍しい。
　私の眠気は吹っ飛び、アライグマのカールがころんと転がってしまった。可愛い。


「え、どーしました突然」

「彼の犯罪知識！絶対良い小説のネタになるのである！A君！もう全ての部屋に！廊下にも等間隔で！本も沢山出しておくのである！」

「小説好き？」


　小説を、書く人？
　本好き？
　はえぇ。


「はー、まー、いいですけど」


　そうしてAは頬杖を付く。
　美しい髪が揺れ、嫋やかな細い指と流れる睫毛にポオの心臓が跳ねた。

02　とんでひにいる→

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