織田作之助と真っ白な頁の波に漂う【文スト】

39　世界 ページ39

波の音が聞こえた。


　深い夜、
　心地好い風、
　繋いでいた手は離れ、


　漸くAの足が止まる。


「…………」


　ルパンからこの海の見える公園まで、ふわふわと語る彼女の声を聞いていた。


　人気はなく、
　まるで世界に二人だけになったかのような感覚に陥りながら。


「………………」

「んー」


　身震いしたAの細い肩に上着を掛けた。ありがとうございますと聞こえる。


「教えてくれないんですよ、下巻の最後を誰が書いたか」


　編集部総出です。私の親友か親かよ、そう思いました。
　Aは滔々と言葉を続ける。


「や、まぁ、締切守れなかった私が悪いんですけど」

「…………」


　何も、云えない。


　何も、分からない。


「勝手に完結させられた挙句、勝手に共犯にさせられて、勝手に」


　小説家たらしめようとする。


　私はどこまでも小説家で、
　小説を書かない事は死んでいるのと同じで。


「公表、は」

「……それでは、読者をーー殺してしまう、気がして」


　自分が何者かを、思い出す度に。


「あの素晴らしい最後の本を、私の本だと思っている人からーーその希望を奪いたくない」

「…………」

「絶望は、死と同じじゃ.......ないですか？」


　殺したくない。


　殺さない。


　小説家でいる為に。
　小説家になる為に。


　それは、


　その思いは、


　遥か、昔ーーーー



「……………」


　顔は見えない。
　でも、恐らく、笑っている。


　嬉しく無い筈なのに。


「その後はねぇ、設定資料とか渡されて、それで一、二本書いたんですよ。出版社もね、ノルマとか色々ありますから。あちらにも色々ありますから」

「…………」

「設定資料なんか渡されたら、その時点で私の本じゃないのに」


　私の物語じゃ、ないのに。


　悪口でもなく、愚痴でもなく、
　唯、私が悪かった。


　堤Aの、人生の話。


「いやまあ、書くなよって話ですけど。孤児貰ったみたいなもんですよね……でも、だから、ちゃんと、立派に育てあげましたけども」


　否定されても、
　傷付いても、
　誇りを失っても、
　それでも書かなくてはいけない。


　自分が何者かを、思い出さなくてはならない。


「そうしないと」


　そうしないと、生きていけないから。
　それが天命と、思ったから。



　最高の本をたった一冊書くか。



　最高の本を多種多様に書くか。



　多くの小説家は、
　後者かも、しれない。

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