第三十五話 ページ37
歩きやすくなった足で雪道を進んでいくと、アシリパさんはある地点で足を止めた。その足元を見ると、一部の雪が掘り返されて笹が見えていた。そしてその近くに生えている木は幹の部分がボロボロになっていた。
「見ろ杉元、ナマエ、オス鹿がツノ研ぎをして縄張りを主張したんだ。この木を棒で擦って音を出したらオス鹿が戻って見にくるかもしれない。」
「ストゥ乱用しすぎじゃない？」
杉元さんはストゥを渡されると、しぶしぶそれで気を擦り始めた。
「私たちの生活で鹿はなくてはならない存在だ。いろんなものに利用する。この靴も鹿の皮だし矢骨にも鹿のスネの骨が使われてる。」
かつてアシリパさんのお婆さんが話したことだ。鹿は名にカムイを持たず、「獲物」という意味のユクという名を与えられ、昔はもっとたくさん獲れたという。「鹿を司る神様」が、人間に食べ物を与えるため、地上にばら撒いた。
しかしある年の冬、大雪が降り鹿が食べ物を掘り起こせなくなってしまった。そして鹿は大量に死に、それを食べる狼も絶滅してしまった。
「簡単に捕まるからきっと誰かが鹿を粗末に扱った。だから神様が怒って鹿を地上に下ろさなくなったんだって。フチがよく話してくれた。」
彼女の話を聞いていると、何かが近づく気配がする。ゆっくり振り返ると、その巨体は私たちの目の前に現れた。長く枝分かれした角に、茶色い毛並みとつぶらな瞳を持つ四足歩行の動物。
鹿だ。
そのあまりの大きさに驚いていると、アシリパさんが小声で私たちに指示を出す。
「静かにゆっくり動け」
杉元さんがゆっくりと銃を構え、発砲準備に移る。少しだけなった金属音に鹿が反応した。彼が発砲した時にはもう遅く、鹿は走り出し、弾は尻に当たってしまった。
「急所を外した！」
「追うぞ登れッ」
急いで追いかけるが、目立った痕跡も残さず逃げられてしまった。
「藪を通って逃げられた。笹についた血を探せ！藪を出た足跡を見つけろ」
杉元さんは鹿の姿が見えなくなると、いつになく焦った様子で息を切らしていた。
「クソッオレがあせったばかりに…このまま鹿を逃したら無駄に苦しい思いをさせただけだ。必ず仕留めてあげなくては…」
「……」
随分と優しい理由で悔しがるのかと。
普通は獲物を取り逃したことに注目するはずだ。実際に戦場で苦しんで死んでいくひとたちを見てきたが故のその考え方なのか。それとも…
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作者名：ほほいほい | 作成日時：2021年8月26日 23時
