【ヒプノシスマイク短編集】惑溺

84.蠧毒かない(山田二郎) ページ36

その細い首に手をかける。力を込める。やわらかい皮膚に指先がだんだん埋まって、そこから同化する。頭で何も考えられないから、鼓動が絶えず加速してゆくのはなぜだろう、と、思った。そういう夢を見た。
目を逸らしたら色がない。「ねえ。」という声。俺だけにつくられた合成の音声言語。いま、Aが視線を伏せているのはなんでなんだろう。その目の先にあるのは何なんだ。それを全部知ってしまえたなら、俺のことを好きになってくれるのかな。
その可能性があるのなら俺は、きみに触れないままで、きみのことを理解しきりたい。
絶対の純潔と、きらきらした目が約束されなくちゃならないきみの。邪魔なやつはぜんぶ捨てるからさ。
ずっと、頭のおくに音楽が鳴り響いてる。

…また春がきた。Aの好きな季節だから、俺も春が好き。桜が咲いて、新しい環境で、すずしくてあたたかい風が吹いて、俺のことを洗ってくれる。
桜のピンクも、空の青も、風のとうめいも、俺には届かない。Aの肌の色、髪の色、爪の色、瞳、睫毛、唇、内臓、脂肪、骨！春のぜんぶの色をまぜても、Aの色彩には及ばない。絶対的の意味も覆す彼女は俺の世界の全てだった。キスをしたいとか、抱きしめたいとか、手を繋ぎたい、とかとは、全然違う。ふれないのが美徳で、それが俺の秩序と均衡をあやうげに保っているんだ。
宇宙がひとつの細胞だったとして、それが構成するのはAという生物だと思う。
たとえ、Aが俺じゃないだれかに恋をして、付き合ったり、ふれ合ったり、愛し合ったりしても。………しても。

「A。」
「…ごめんなさい、誰ですか…？」
(こんなんじゃ物足りない。って、膨らんで消えてまた現れる。それをするのは俺だけでいいのに、とか、言いたげに。ぐちゃぐちゃに相反した感情たちが、俺のなかを食い荒らして、きみの顔を見るだけでおかしくなりそうなんだ。)
春が終わる前に。色が消える前に。「ずっとAの、こと、見てたから。」
これはバラードじゃないはずだ。もっと、ずっと…ゲキジョウ的な。禁止事項をやぶる指先が、また首へさそわれる。涙と汗が春風で冷えて、俺の肌をじっとりぬらす。
「俺以外のやつがさわるとか、好きになるとか…嫌なんだよ。」
届かないはずだった手がうすい膜を突き破りふれる。ああ、そっか、届かせなかっただけなんだ。簡単なことだ。俺、Aにしたいことだらけ。
「だから許して。」

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