2人の短いお話 その8

何だ、そんなことか ページ1

『今日、夜空いてる？』




2人だけのトーク欄に通知が灯った。

何とも簡易的なメッセージに、うん、とだけ返信すると、夜に俺の家へ向かうといった旨の返事が来た。





玄関の戸が開く音がする。

玄関まで向かうと、靴を脱ぐこともせずにただ突っ立って満面の笑みを浮かべているので 、はて、と見つめ返す。





「え、なに、どうしたの」
「んー、玄関まで迎えに来てくれるかなあ、って思って」
「ああ……」





何だ、そんなことか。

俺が出迎えたことに満足したのか、お邪魔します、とようやく靴を脱ぎ始めた。

その小さく丸まった背中を見ていると、何とも言えない感情が込み上げてきて、綺麗なつむじ目掛けて口を開いた。





「……おかえり」
「ふは。良いね。それ、」






舌足らずな声で、ただいま、と言い直されて、そして軽くキスを交わした。


俺より先にリビングへと向かうその右手には、2人で飲むにしては多すぎるくらいの缶ビールやらワインやらが詰め込まれていた。

指がその重さで鬱血しているのが何だかやけに目に入る。






「…多くない？」
「まあ俺が飲むから」
「いや介抱するの俺じゃん」





俺の小言は聞こえなかったのか、冷蔵庫にいそいそと酒をしまい始める後ろ姿を見て、ため息が溢れた。








「あのさあ、北山さん、」
「はい？」
「……いや、何でもない」






丸いほっぺをそんな風にほころばせて楽しそうに振り返られては、明日俺早いんだよね、と言おうとした言葉を飲み込むしかない。

勝手にグラスを出され、そしてつまみまで完璧に準備をしてくれた事に対し、感謝するべきか否か悩むところだ。






_____







「はい、かんぱい」
「乾杯」





2人で会うのは随分と久しぶりだ。
ツアー中もドラマの撮影があったし、レギュラー番組のロケに行ったりと互いに忙しく過ごしていた。

空いていた時間を言葉で埋めていく時間は心地が良くて、グラスを傾けるスピードも速い。






「ツアー終わったなあ」
「ね、」
「もう稽古始まったんだっけ」
「うん、この前ね」







ドラマの撮影真っ只中に舞い込んだミュージカルの話。幕はすぐに開く。

そして彼にやってきたドラマと舞台の主演の話。

途絶えることのない仕事の話に、身が引き締まる思いだ。






「…頑張ろうな」
「おう」









それでも束の間の、恋人、で居られる時間も大切にしたいと望むのは強欲だろうか。

・→

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す