コトノハ（∞）

親知らず（橙） ページ16

「この間、もう何年も抜こうか悩んでた親知らずをついに抜いてきたの。

定期的に痛くなるから、抜いた方がいいのは分かってたんだけど、抜く時痛いし怖くって…ずるずると先延ばしにしちゃってたんだよね。

でも、この間どうにも痛くなって、観念して抜いてきたの。
そしたら、麻酔が切れた後なんて泣くほど痛いし、顔も腫れるし、こじ開けられた口の端も切れて痛いし、穴が空いた所にご飯粒入るし…ほんと散々で。」



あたしの話に、

「うん」「そうなんや」

とちゃんと相槌を挟みながら真剣に聞いてくれつつも、

その顔がかなり困惑している事には気付いているよ？


ーーうん、自分でも何の話してるんだろう？って思ってる。



「でも、数日したら痛みは消えたし、もうあの奥歯の痛みに悩まされることもないし、
勇気出して抜いて良かったなって思ってて…」



ーーつまり、何が言いたいかっていうとね…



「ーー痛いの我慢したまんま誤魔化してるよりも、勇気出して、行動に移してみたら、案外スッキリするってことやんなぁ？」


優しく丸く笑うあなたは、

あたしの下手くそ過ぎる励ましをちゃんと受け止めてくれる。



「ありがとうな。」


困ったみたいに眉を下げて、だけど優しく微笑んでくれるあなたの恋を、

本当はちっとも応援できていないあたしの真っ黒な気持ちに、

きっといつかは気付かれてしまう。



そうしたら、こんな風にあなたと過ごす時間も終わってしまうのだろう。








あなたが腕時計にチラリと視線を移したから、

あたしはカップに少し残しておいたコーヒーを観念して飲み干す。


「ほな、そろそろ帰ろか。」


立ち上がって、いつものようにあたしの分のカップも一緒に返却口に運んでくれて、


慌ててコートを着るあたしに、

「ゆっくりでええんよ。」と甘い微笑みをくれて、


駅までの道、あたしの歩幅に合わせて少しゆっくりと歩いてくれる。


そんな行動の一つ一つがあたしの胸を苦しくさせるけれど、

それはあなたにとってみれば、何一つ特別なことじゃないのも、ちゃんと分かっているよ。




「じゃ、お疲れさん。」


そんな色気のない挨拶しかくれないくせに、

ポンポンと、優しくあたしの頭に触れるから。


「ん、お疲れ。また明日ね。」


そう言って、別々のホームに向かって歩き出すとすぐに、今日もあたしは振り返ってしまうのだ。




だけど、今日もやっぱり、

あなたの背中は振り向くことなく、

人の波に消えて行く。

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