書架の森の童話(tn) ページ10
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誰にも見つからないように生きたい、と思う。そんなことがよくある。人混みの大群の林檎のひとつ、栗の振りをしたハリネズミ、満員電車の四方30センチ、木の枝を夢に見た尺取虫、懐かしい匂いのする教室のはじっこ。そこに居ることを、誰も見ないでいて、知らないでいて。悪さなんてしません。
デパートのワンフロアをぶち抜いた、淡々と書棚の並ぶ本屋が好き。人が少ない時間帯は特に。誰も誰かを見ていない、自分の探すものにしか興味のない、合ってもすぐに逸らされる視線の無関心が心地よく私を迎えてくれる。多くない人と膨大な紙の束が、ぬるま湯のような湿度と熱を掴んで離さない。本屋特有の息苦しさも慣れてしまえば気になんてならない。今月新刊の漫画の表紙を撫でて、雑誌、専門書、児童書のコーナーは視界に入れるだけ。お目当ての文庫本の棚には、先週よりもほんの少しだけ配置の変わったタイトル達が私を見下ろしている。気になるタイトルをそっと引き出して、あらすじに目を滑らせて、最初の数ページを掬って。そんないつも通り、儀式めいた手順に突如として紛れ込んだのは。
「…あ、」
空気の漏れるような、けれどしっかりと届いたその声が、大きく響くことを知っている。恐る恐る顔を上げれば、レンズ越しの赤い眼がこちらを見ていた。毎年おばあちゃんの家から送られてくる林檎よりも深い赤の中に、自信なさげに佇む私がいる。
背の高いその人は重たい鞄を背負っても尚姿勢よく地面に足をつけて、いつも教室で聞くようなそれよりも、慎重そうに言葉を紡いだ。
「いつも本読んどるよな、教室で」
好きなん？と続けられたその答えを私は持っていないから、曖昧に頷いておいて。嘘つきは悪人のはじまりでしょう。
「本読め本読めっておかんからもおとんからも言われんねん。なんかオススメとかない？」
偶然出食わしたクラスメイト、ひそひそ声で続けられる会話と投げかけられた言葉のボール。この話の終わりが読めない。
「…こ、のシリーズは、結構おもしろい、とおもう」
段々萎びていく声は、確かに届いていただろうか。へぇ、なんて平坦な声とつるりとしたカバー同士の擦れる音。背伸びしてやっと届くそのタイトルは、あっという間に節くれだった手の中に。
「読んだら感想言いに行くわ。」
ありがとさん、なんて続けられた言葉。去り際に微笑んだ彼の視線の中に居た私が、知らない感情の手を引いて置き去りにした。特有の湿度と熱が、引かないままでいる。
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作者名：錆山 | 作成日時：2021年2月26日 20時
