karte 35 −僕に出来る唯一のこと− ページ36
.
"コンコン"
｢はい？｣
｢…今、いい？｣
｢ええ、どうぞ。｣
｢あ、わりぃ、晩飯の時間だったか。｣
｢いえ、もう終わりましたから。｣
｢もう？だって全然……｣
｢もともと食は細いんで。
それに、最近食欲ないし…｣
｢カズ…またか……
しょうがねぇな。
そんなんじゃ、いつまで経っても
良くなんねーぞ。｣
｢………｣
あれから松本先生は
度々僕の病室を訪れ
僕のことを
『カズ』
と呼ぶようになっていた。
そう呼ばれるたびに
それは、親しみを込めつつも
亡くなった弟の面影を強く重ねているのが
僕には痛いくらいよく分かった…
｢ふぅ〜……｣
｢…先生の方こそ
なんだかお疲れみたいですね？｣
｢ん、ああ……
ついさっき、手術終わったばっかりでさ
そのまま帰ろうかと思ったんだけど…｣
｢…僕に、会いに来てくれたんですか？｣
｢ま、ね……｣
｢フフフ…
誰かにそう思ってもらえるのって
嬉しいもんですね…｣
｢…お前、ちょっと目を離すとすぐ
食欲無いとか、あそこ痛いとか言って
みんなを困らせるからな。｣
｢事実です。｣
｢カズ……
お前、自分自身で治ろうとしてないだろ？
どんなに医者や看護師が頑張っても
患者本人の治りたいって思いがなきゃ
どんな治療も効果がないんだ。｣
｢……ええ、そのことなら
櫻井先生から100万回くらい聞いたかな？｣
｢ならどうして…｣
｢僕は……このままでいいんです。
もう、このまま、ここで……｣
僕の言葉で
松本先生の端正な顔が
苦しそうに歪み
あの黒い大きな瞳に
哀しみの色が浮かぶ…
｢カズ…お願いだから
そんなこと言わないでくれ……｣
そして、僕の頬を両手で包み
愛おしそうに見つめると
そのまま頭を抱え込むように
自分の胸にかき
その時の僕は
僕ではなく
先生の中の
『カズ』
だった。
深い悲しみとともに感じた
人知れぬ傷を背負っているこの人に
僕がしてあげられる
唯一のこと…
.
でも、この時僕は
気付いていなかった。
僕たち2人を見つめる
その視線に……
.
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