荒船くん、あのね (ページ11)

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恋の話ページ11

『今日もわたしの推しが尊い』
「オタクか」

うっとりと頬を緩めるAの頭を
丸めた教科書で叩いてやる

Aは叩かれた頭を大袈裟に押さえつつも
渋々と言った様子で
再び手元のプリントへと視線を落とした

時刻は19時18分、日曜日
またしてもAが小テストの赤点回避に失敗
今回は勉強会のため
市立図書館からのお送りである

とは言え
閉館時刻の迫る図書館は人もまばらで
自習室に至っては貸切状態

おかげで
意識は否が応でも目の前のAに向く

最近の新たな発見だが
こうして見ると
Aは意外と下まつげが長い

上まつげが細くて貧相だから
余計に下まつげの長さが目立つのだろうか

『……なんか、失礼なこと考えてる気がする』
「気のせいだろ」
『荒船くんが言うなら気のせいだね』
「信者か」
『狙撃とアクションを愛する荒船教？』
「物騒な宗教だな」

ぽつぽつと話しながらも
プリントに書き込むAの手は止まらない

「日本の三大宗教を述べよ」と問う問題文の脇に
無駄に綺麗な達筆で「荒船教」の文字が並んだ

この野郎
あとでしばき倒してやる

意味不明な答えを混じえつつ
それでも着実に埋まっていくプリントを眺め
ぼんやりと口を開く

「馬鹿みてえなこと考えてた」
『どんなこと？』

聞き返すわりに
Aの視線はプリントに落とされたまま

「最も人口が多い国は」と言う問いの横に
やはり達筆な「ユーラシア大陸」の文字が並ぶ

ユーラシア大陸は国じゃねえよ

「俺はお前の推しなんだろ」
『うん』
「それも悪くねえと思ったけど」
『うん』
「欲を言えば、やっぱりさ」
『うん』

と、そこでようやくAが顔をあげる

丸っこい黒目の中に
片手で頬杖を着く俺の姿が映り込んでいた

その顔が我ながら何とも眠そうで
気付いたとたん
急に睡魔が襲ってきた

そうだ
きっと今の俺は寝ぼけている

だから
つい口が滑ってしまった

そういうことにしよう

「推しじゃなくて、恋人になりてえなって
すこし思った」

Aの両目が
傍目にも分かるくらい大きく見開かれる

手から滑り落ちたシャーペンが
軽やかな音を立ててテーブルに転がった

小さく息を飲む声がして
かと思えば
ほう、と息を吐いたAが笑う

もう勉強する気はないのか
先程まで見ていたはずのプリントは
既にAの両腕で下敷きにされている

また追試だろうな
なんてことを考える俺を見据え
Aは言った

『今日もわたしの恋人が尊い』