花笑みのきみ (ページ3)

今日:2 hit、昨日:7 hit、合計:120,644 hit

3 ページ3

久三は
その日以来
こつこつ金を貯め始めた。

酒も博打もやらず
それこそ爪の先に灯を灯すようにしながら
久三は
１０年かけて
きっちり１０両をためた。

染料で青く染まった指で
その１０両を握りしめ
ここ大野屋に久三は初めて上がった。

吉原は
行けば誰でも遊女と遊べるという所ではない。

吉原には吉原のルールがある。

好みの遊女を指名すると
客は他の遊女を買うことはできない、とか。

馴染み以外の他の妓楼(遊女屋)で遊ぶと
浮気客として制裁が加えられる、とか。

それから
遊女を買ったとしても
初めての日は『初会』(しょかい)といって
遊女とは床入りはおろか口すら聞いてもらえない、とか。

２回目に会う時のことを『裏を返す』というのだが
これも『初会』とほぼ同じで
ほとんど口も聞いてもらえないが
３回目になると『馴染み』といって
ようやく床入りし肌を合わすことができるのだ、とか･･。

この時の久三は、『初会』。

だから
久三は
青畳のいいにおいがする部屋で
夢にまで見た憧れの高尾と二人っきりでいながら
一言も話はしていない。

というか
久三は高尾の目すら見れていない。

ずっと
正座の足を崩さず
自分の目の前の畳の目を数えていただけ。

半刻後(約１時間後)

高尾が
身にまとっていた豪華な着物の裾を
しゅっとひいて立ち上がった。

「では主さん、裏を返しておくんなんし･･。」
(また来てくださいね、という意味)

と
高尾が小さいがよく通る声で言うと
久三は
うつむいたままブルッと震えた。

高尾は
その久三を黙って見下ろしている。

返事を待っているのだ。

久三は返事をしようとするが
うまく声が出ないのか
何度か口をぱくぱくさせた後
青に染まった自分の手を見ながら、こう言った。

「････今日
ここへ来るのに１０年かかりました。
またここへ来るのに
もう１０年･･

そんなことは

もう
私にはできません。」

ここまで言って
久三はゴクンと唾を飲んだ。

そして
深いため息をひとつ、ゆっくりとついた後
すっと顔を上げ
高尾を見上げ、畳に両手をついた。

「この半刻が
私にとって生涯一度の恋でございました･･。
ありがとうございました。」

と
言って
深々と頭を垂れた。

その時
高尾は見た。

久三の大きな黒い瞳に
涙がうっすら滲んでいたのを･･。