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「Aのことが、好きや」
私の目の前にいる彼は、私に向けて確かにそう言った。
私の好きな人が、私に向けて「好き」と口にしてくれたというその事実は、ひどく嬉しくもあるものの、私の身体のこと、過去を考えると残酷にも感じられた。
「千羅さん」
そっと彼の名前を口にすると、彼は再び顔を上げて、私と視線を絡める。
「私も千羅さんが好きです、1人の男性として。でも………ごめんなさい、貴方とは付き合えません。きっと貴方が思い描く幸せは、私といたんじゃ得られないと思うんです。私の幸せは、好きな人が幸せでいること、ですから…だから、ごめんなさい」
私の思いのたけを伝えると、千羅さんは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべていた。
それだけで、私は、好きな人を今まさに傷つけているのだ、というどうしようもない罪悪感の荒波に飲まれる。
「Aが思う、俺の幸せって何なん?」
彼がぽつりと呟いたその言葉に、私は固まってしまった。
体のことを言うのなら今だ、と心の中で騒めいていた。
「いずれは結婚して、子供も生まれて、どこにでもあるような家庭を築くこと、じゃないですか?私には、それが難しいんです」
「どういうことや?」
含みのあるような言い方をしたためか、案の定千羅さんは食いついてきた。
本当は、理解されるかもわからなかったから、彼に言うのは怖かった。
葵君に言うのと、千羅さんに言うのとでは全然違うのだ。
葵君は、お姉さんが婦人科生殖医療科の先生ということもあってか、まだ理解を示してくれるけど、千羅さんには、全くもって馴染みがない。
話しても、大丈夫だろうか、それだけが頭を彷徨っていたが………。
私は、数回大きく深呼吸して、目の前の彼を見据えた。
「あの、ですね……」
私がそう口を開いたが、肝心の千羅さんの心の準備が出来ていなかったらしく、
「ちょっと、たんま。先これ飲んでしもてええ?」
と言って、カクテルをぐい、と飲み干した。
嘘でしょ、千羅さん…。
折角言おうとしたのに、こんなタイミングよく折る?
たまに見るセンラさんの一面を垣間見たような気がしたんだけど、別人なはずなのに。
「よし、もうええで。教えてくれるか?俺もAが俺を振る理由に“俺の幸せを願って”じゃ納得出来ひんし」
今度こそ言うんだ、身体のことも、元カレとのことも。
そう思うだけで身が引き締まるような心地になった。
深呼吸してそっと口を開いた。
「実は、私…」
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kne(プロフ) - 感動しました。 続き楽しみです。 (2021年9月28日 20時) (レス) id: ee34aec55d (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:奏斗 | 作成日時:2020年2月12日 17時