iridescent clouds

浅からぬ御縁_006 ページ7

待ち合わせ場所につくとAは手許の本を疎かにして何かを思い出すように遠くを眺めていた。
何を考えているのかは判然としないが、すぐに自分に関心を引き戻してやりたいと思う。

「お待たせしました。」
静かに近付いて耳元に囁くと、そこからさっと熱を帯びてこちらを向いたのを認めて、企みが成功したことを知る。

「どうかしたの、ぼんやりして。」
「これ読んでいて、今年っぽいなと思って。」

聞道く春還ると未だ相らず、と漢詩の一文を指しながら唱えられるけれど、瞬時に意味を読み取れるほどこの分野には明るくはない。
覗き込もうとすると、「そんなことよりそのままで来たの。そこはかとなく胡散臭いよ。」等と随分なことをいう。

「聞き捨てなりませんね。弊社はいつも誠実に、心を紡ぐお見送りを―」

レンズを跳ね上げて改めて彼女の視線を捉えると、くすくすと笑いだして、コーヒーでも飲んでから行く？と訊ねてきた。
早く連れて帰りたい、と考えていることを悟られるのも癪なので、思案するような表情を作ってから、「いいや、行こうか。」と返事をする。

支払を済ませようと伝票に手を伸ばすと、日頃の彼女では考えられないような速さで取り去った。
「奢るよ、これくらい。」
「そういうのは、良くない。」

率直に言って、こちらは金には困っていない。
Aに至っては都心に一人暮らしで一般企業の給与、そんなことはおくびにも出さないものの間違いなくやりくりには気を使っているはず。
金はあればあるほど良いのだからこういうときは払わせてしまえば良いのに、と考えてはいるが、その堅実さを好ましく思っているのもまた事実で、今回は彼女の意思を尊重してやることにする。


肌で触れたくて手袋を外した。指先を絡めるとと春の訪れを感じる。
「指先、冷えなくなった？」
「うん。今週暖かかったから。」


―他愛もない。

他人への無関心も、ある程度の冷徹さも、自認している。
良識的な振る舞いをするのはそれが理に敵っているいるからで、倫理観や社会性などどうでもいいと云うのが本音で。


それでも―

「好きだよ、A。」

Aとの他愛もないやりとりは自分をこちら側に繋ぎ止めてくれている気がして、強く握り返した。

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